月下囚人 ~双華~

2018/01/24

その時、私はまるで針のむしろにでも立っているような気がした。
周囲から注がれる視線。
まるで視線で穴でも開けようとでもしているような鋭い視線。
それが、四方から私に向けて注がれていた。
全身が心臓になったかのような感覚。
私は必死に走り出した。
その拍子にコートがはだけそうになり、必死に手で押さえて走る。
素裸にコート一枚という格好の私には、逃げることしか出来なかった。
その時、わたしは自分の足元が崩れていく感覚に囚われた。
僅かに聞こえてくる声が、わたしにこれが現実だと突きつける。
わたしはゴミ箱の影に必死に身を隠し、震える身体を精一杯縮めた。
このままだと見つかるのも時間の問題。
けれど、わたしは動けない。
いまここから動いたら絶対に見つかってしまう。
ゴミ箱の陰に隠れていることしか出来ない。
ただ、見つからないことを必死に祈る。
生まれたままの姿??全裸でいることを人に見つからないことを。
??香奈side?? ようやく、退屈な授業が終わった。
私は身体を眼一杯に伸ばして、身体のだるさを追い出す。
大分肩が凝ったな、と思って肩を揉みながら回していると、不意に後ろから誰かの手が私の肩を掴んだ。
一瞬緊張しかけて、その手が親友のあかねのものだとわかって安心した。
「お疲れみたいだねー、香奈ちゃん」 そう言いながら肩を揉んでくれる。
私は凝りがほぐれていく気持ちよさに眼を細めつつ、頷いた。
「うん、まあねー。昨日も昨日で遅い時間まで寝れなかったしー」
「ちゃんと夜は寝ないとダメだよ?」
「それはわかってるんだけど……」
「まだ二年生なんだし、そんなに必死にならなくても……」
「これくらいやらないと、ついていけないのよ」
「私より香奈ちゃん成績いいじゃん……それもかなり」
「奈々に、よ。あの天才肌め……昨日だって、私よりずっと先に寝たくせに、いつもいつもいつも私より成績順位上なのよ!!」 思わず吼えると、教室の端辺りの席の奈々が、こちらを見てにやりと笑った。
むかつく。
「……で、でも奈々ちゃんは香奈ちゃんのお姉ちゃんだから、意地があるんじゃないかな?」
「双子なんだから実質的な違いはないわ。なのに何だかんだで毎回毎回負け続け……やってらんないわよ全く!」
「二人とも凄い有名だよ? 奈々ちゃんと香奈ちゃんの双子って言ったら皆口を揃えて『ああ、あの』っていうし」
「……あかね。人から見てどれだけ凄かろうがしょぼかろうが、その人自身が達成したい目標を達成できなきゃ意味ないわよ」
「そ、そうかなあ」
「そうよ。……見てなさい、奈々……いつか追い越してぎゃふんと言わせてやる……っ」 拳を握り締めてそう呟いたら、奈々が「ぎゃふん」と言った。
相変わらず微笑みながら。
む、むかつく……っ!「ちょ、ちょっと香奈ちゃん落ち着いて!」 思わず立ち上がって奈々に詰め寄ろうとした私を、あかねが後ろから抑える。
座っている状態では勝てるわけもなく、でもそのまま治まるほど怒りは小さくなくて、私は暫く無駄に足掻いていた。
??奈々side??「相変わらずお前ら双子は仲良いな」 わたしが、香奈の身悶えている様子を楽しんで見ていると、背後から人の声が投げかけられた。
「……ふん、この状況を見て『仲良い』なんて呑気な台詞を言ってくれるのは伊角くんくらいね」 伊角光。
体育系の大男で、顔はそれなり。
まあ人気があるかないかで言えばまあ、ある。
誰にでも気安く話しかけてくるから、わたしのように親しくされるのがあまり好きではない者にとってはちょっと鬱陶しいくらいだ。
そんな気持ちを込めたわたしの視線をあっさりかわし、伊角くんは続けてこう言った。
「実際仲良いだろ。……だが、度が過ぎると嫌われるぞ?」 何にもわかっていない伊角くんを、わたしは鼻で笑う。
「ははっ。有り得ないわね。なんだかんだ言って、香奈がわたしのことを『嫌い』って言ったことなんてないんだから」
「……そこまで信じられるのは凄いな」 しみじみとした呟きにはからかいのニュアンスはなかったけど、言葉だけを聞けば嫌味のようにも聞こえる。
だからわたしは少しむっとした。
「なによ、何か文句でもあるわけ?」
「ねーよ別に。しかしまあ思うんだが、何で妹の方はあれだけ必死になって勉強してるのにお前に一度も勝てないんだ?」
「簡単なことよ。香奈は要領が悪すぎるの。教科書を端から端まで順に覚えようとするのよ? それでいつも最後の方は試験に間に合わなくて、その部分は丸ごと落とすのよ。天才じゃないからそんなやり方は出来ないに決まってるのに」 それともう一つ。
あかねちゃんが言ってた通り、わたしにも姉の意地という奴はある。
早く寝たふりをして実は香奈と同じくらい勉強している。
この理由は伊角くんにも言うつもりはない。
香奈の理由を聴いた伊角くんは、少しばかり引き攣ったような苦笑を浮かべた。
「……そ、それは何と言うか……確かに要領わりーな」
「試験に出るのなんて、重要単語と関連事項くらい。文章全部を暗記するのは時間の無駄なのにね」
「……教えてやれよ」 呆れたような声に、わたしは投げやりに言葉を返す。
「もちろん教えたけど、出来ないのよ。どうしても不安になるらしいわ。学校の定期テストならまだいいけど、大学受験の時はどうするのかしらね。ふふふ、今からどんな風に困るのかが楽しみだわ。いつもみたいに可愛らしくおろおろするのかしら」 その時のことを想像して、わたしは笑んだ。
本当に、おろおろしている香奈は可愛い。
思わず意地悪したくなるくらいに。
「……やな姉だなー」
「何か言った?」
「いいや何も」
「ふん……まあいいわ。あと、香奈とは趣味も同じだし。お互い嫌いになれるはずが無いのよ」
「趣味、ねえ」
「…………まあ、わたしもあの手の趣味も一緒だと分かったときにはびっくりしたけど」 思わずそう呟いたのを、伊角くんは聞き取ったらしい。
「ん? 何か言ったか?」 地獄耳め。
「いいえ。何も言わないわ」 伊角くんに対して適当に言い捨て、わたしは思いに耽る。
??香奈side?? 数分後、ようやく落ち着いてきた私は、肩で息をして気を落ち着かせるのに努めていた。
「ふー、ふー……」
「お、落ち着いた? 香奈ちゃん……」 正直なところ、奈々に対する怒りはまだ収まっていなかったけど、心配そうにしているあかねにそれ以上迷惑はかけられなかったので、ぎこちなく微笑んで見せる。
「ふ、ふふ、なんとかね……ごめん、あかね……驚かせた?」
「ううん、いいよ。慣れてるし」 あっさりいうあかねだけど、私はちょっとショックを受けた。
慣れてるんだ……。
私、慣れるくらいによく騒いでるんだ……。
騒いだことが今更ながら恥ずかしくなった。
咳払いを一つして、話題を変える。
えっと、何か話題……ああ、そうだ。
「ええと……あかね。昨日、掲示板は見た?」 掲示板とは、インターネット上にある『サイト』の掲示板。
そこにはこのクラスの人達が集って色々な話題を交わしている。
昨日、そこに書き込まれた書き込みは、一種の爆弾のようなものだった。
その書き込みを話題にしようとしたのだけど??あかねの反応がない。
「……」
「? あかね?」 奇妙に思って振り返ると、固まっていたあかねは何故か慌てた風になった。
「え、あ、うん、掲示板? み、見てないけど……」
「あ、そうなの? ……じゃあ、知らないか。そういえば、あかねの書き込みはなかったわね」
「な、何かあったの?」
「え」 そう聞かれて、それを説明しようとして??言葉に詰まった。
考えてみれば、あんなことをどうやって話題に出来る? しかし話題を降ったのはわたしの方だ。
このまま放置することが出来なかったわたしは、声を潜めて説明した。
「それがさ……昨日、掲示板に露出狂を見たっていう書き込みがあって」 うう、いまさらながら、こんな話題を振ってしまった自分が憎い。
私はあかねから眼を逸らしながら、続けた。
「どうもその露出狂、この近所に住んでいるみたいで写真も一緒にアップされててね? 変態の写真なんて消しなよって書いたから、もう消されてるかもしれないけど…………って、あかね?」 何の反応もないあかねを奇妙に思って、首を後ろに向けると??あかねは顔を真っ赤にして硬直していた。
し、しまった。
あかねはこういう話題には慣れていなかったのかも。
昨日、私と一緒にあれを見た奈々は平気な顔をしてたから思わず普通に話しちゃったけど…………うかつだった。
「ご、ごめん、変な話題振って……」
「う、ううん、いい、よ……」 そう言うあかねだけど、声が途切れ途切れで息をするのも苦しそうだった。
わたしは自分の迂闊さを呪いつつ、別の話題を探して頭をフル回転させた。
??奈々side?? それは日曜日のお昼前の話。
その日、両親は出掛けていて、わたしと香奈は二人きりで留守番をしていた。
「奈々ー。ちょっと早いけど、お昼ごはん何にするー?」 こういう時、大概どちらかが食事の準備をする。
今日は香奈がしてくれるようだった。
「んー、香奈の好きなのでいいわ。別にいま食べたいものもないし」 だからわたしは香奈に任せる。
実際、趣味が同じだからわたしと食べたいものは同じ筈だった。
「わかった。じゃあインスタントラーメンでいいよね?」 試験後の結果発表の時とかはともかく、普段はそれなりに仲はいい。
そもそも、本気で仲が悪かったら喧嘩だってしないだろう。
香奈がラーメンを作る間、暇になったわたしはインターネットで例のサイトを覗いてみることにした。
ちなみに、我が家ではインターネットに繋げるパソコンは居間にしかない。
父曰く『個人の部屋で出来たらそれに熱中しちゃうだろう? 居間にあったらある程度の時間で切り上げ…

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