幸せを踏みにじる悪魔のような母親と決別した
2018/01/17
毒母とやっと決別。
その経緯をここで吐き出しておきたいです
スレ立て初めてなので色々とおかしいと
思いますが宜しくお願いします まずスペックとか書いた方が
いいんですよね?
K(私):喪女大学2年生。
オタク。
妹:リア充。
オタク趣味
理解ある
母:毒母。
過保護なくせに
辛辣
別れた父:DV、虐待
アル中、浮気性なろくでなしの
オンパレード。
まずは元から母は
おかしかったかなと
思います。
小さな頃からプライバシー
干渉が酷く、子供の私達に
秘密を持つ事は許されませんでした。
机や引き出しを勝手に
開けるとかそんな
テンプレ行動は当たり前。
高校生になっても行き先や
門限などを全て伝えても
逐一電話が入りました
無視すると帰ってから
暴力ふるわれました。
別れた父にも
暴力ふるわれましたし
慣れちゃいましたが
何より辛かったのは
それを周囲に信じて
もらえない事でしたありがとうございます。
当時は私達が悪いんだ。
母のいう事を聞かない
私が悪いんだと完全に
洗脳されてました。
なまじ母は周囲に対する
振る舞いはまるで
聖母のようだった為
親戚からは私達が嘘つき
呼ばわりされました。
母も、それに対して
泣いて、私が悪いのと
周囲の同情を買う為
状況は悪くなるばかりでしたそんな折、私は
オタクな為にもっと
誰かとつながりたい。
そんな意識を微妙に
持つようになってました。
母からの束縛や暴力を
一時でも忘れたい。
そんな気持ちもあったと
思います。
そんな時に
始めたのがTwitterでした。
とりあえず、母の
おかしな行動全て描くと
イライラするので
これ以上は割愛します。
そしてTwitterを始めて
私は少しだけど
安らいだ気がしました。
誰かと話せる。
それだけで
嬉しかったんです
当時、私はろくでなしの父や
そんな母を周囲に
知られたくなくて周囲を
完全に拒絶していましたから。
そんな時に
母からのうんざりする
過干渉と過保護。
そして
振るわれる暴力や精神的な
虐待(当時は虐待と自覚なし)を
私が悪いんだとなかば
愚痴もこめてTwitterで
呟きました。
その時にフォロワーさん達に
『それ、毒母じゃない?』と
言われたんです。
最初はそんなバカな。
私の母はただ私や妹を
愛してるだけだ。
そう思ってました
今、考えたら完全な
洗脳ですね。
だからすぐには受け入れられませんでした。
だけどそれが毒母との
決別のきっかけの一歩でしたでも、フォロワーさんの
一言はやはり私の中に
ちゃんと残ってて
だんだん、母のやる事が
本当に私達姉妹を愛してるのかと
疑問に感じ始めました。
そんな折りに
事件が起きました私が帰ってくると
妹が泣きじゃくっていました
普段は気が強く絶対に
泣かない妹が声を上げて
泣いていました。
ただ事じゃない。
直感的に思った私は
妹にどうしたのか訪ねました。
『お母さんに
彼氏と無理矢理別れさせられた』
は?どういう事?です
よく聞くと、妹の彼氏は
お金持ちなのだそうです。
(なんかいい会社の一人息子?
らしい)
そして性格もよく優しい。
そんな素敵な彼氏を
持った妹の幸せを母は
許さず、別れないなら
高校を止めさせ家を
追い出す。
無情にもそんな選択肢を
突きつけたと。
妹は泣きじゃくりながら
彼氏に別れると告げたそうです。
母も父のDVや浮気に
悩まされてた気持ちは
分かります。
だけど、だからって
妹の幸せを潰していいのか。
元々、シスコン気味なので
この時点で私は母を毒母だと
完全に認定しました。
仕事から帰ってきた母に
私は問い詰めました。
ふざけるなと。
そんな事は
許されないと。
…予想通りというか
なんというか。
暴力をふるわれ母は泣きながら
あなた達の幸せの為なの
お母さんとずっといれば
いいのと血走った目で
いう母を見て
ああ…。
母は精神的に
おかしいんだなあと
殴られて霞む意識の中
思いました翌朝、目覚めると
妹が横にいました。
母はその後、ケロッとした
様子で遊びにいくと
いって家を出たとか。
怒るより涙が溢れました。
私達姉妹は所詮、
母をよく魅せる道具なのだと
だから、母は私達が
逆らう事はないと
本気で思ってる。
母の狂気と母から
真には愛される日はないんだと
気づいて涙が溢れました。
震える手で
ケータイを見ると
Twitterからのリプ通知でした。
『○○さん、最近浮上
してないけど大丈夫?』
フォロワーさん達が
何日も浮上しない私を
心配し、私に対する
たくさんのリプが来ていました
『助けて』
きづけばそう呟いていました多分、ミュンヒハウンゼン
みたいなのなんでしょうね。
助けてリプにたくさん
またリプが呟きました。
今まで恥だと思ってた事を
全部話し、今まで起きた事を
全て話しました。
こんなややこしい奴に
関わる奴はいない。
そう思っていた私に
フォロワーさん達は
たくさんリプをくれました
今すぐ逃げてと
居場所がないなら
私の家に来て。
妹さん
一緒でもいいから。
また涙が溢れました
どうして。
どうして
こんな私に。
母にすら
愛されないダメな私を
助けてくれるのかと。
見ず知らずの私達を
家に匿うだなんて
リスクを背負ってくれるの。
いつの間にかまた
手は勝手にそう
リプを打ち込んでいました『だって私達は
○○さんの言葉に
救われたから』
リプは内容は違えど
ほとんどの人から
そう返ってきました不思議に思う私を
見透かしたみたいに
フォロワーさん達は
話してくれました。
さ自分達の愚痴や悩みに
真剣に寄り添ってくれた。
○○さんはたくさん
辛かったはずなのに
そんな事を微塵も見せずに
私達を受け止めてくれた
だから今度は私達が
恩返ししたいだけだよ
そんなリプに
また涙が溢れ、
止まりませんでした
私は母と決別する
そう決めた瞬間でした私達には全く
味方がいないのか
そうではなかったんですよね
唯一、母の母。
つまり母方の祖父母、
叔父、叔母は私達を
取り巻く状況にそれとなく
気づいていたみたいでした
だけど私のプライドや
親戚からの自分の娘を
信じてやれないのか
コールが原因で
私達に手を差し伸べられずに
いたみたいです私はその場で叔母に
電話しました。
助けて、家を出たい。
ただ事じゃないと
察してくれたのか
一時間ほどで叔母は
迎えに来てくれました。
本当は私達が
家を出て、祖父母と叔父叔母が
住む家に向かうつもりだったんですが顔が腫れてた為、
公共機関を使って警察沙汰に
なり、母に連絡がいく
事態を避けたかった為に
叔母に連絡したのです
(叔母は在宅勤務の為
時間に余裕があると
私は知ってた)腫れた顔を見て
叔母は全てを察したのか
私達にとにかく
荷物を詰めて出るよ。
と
言ってくれました。
そして私達は
毒母のいる家を
飛び出しました。
フォロワーさん達には
車内でお礼リプしながら
叔母宅に逃げ込むと
言いました。
それに関しても
フォロワーさん達は怒る事なく
今後の身の振り方とか
色んな事をリプくれました。
祖父母宅に着くと
全てを話しました。
祖父母と叔父も叔母も
ごめんねごめんねと
ひたすらに泣いて
謝ってました。
だけど、悪いのは
母で祖父母や叔母や
叔父が悪いんじゃないし
助けられなかったのも
仕方ない部…