私の罪 1
2023/10/28
私は42歳、妻は35歳、名前は澄江と言います。
結婚して12年を迎えますが、子宝には恵まれませんでした。
この話の始まりは4年程前になります。
当時私は、前年急逝した父から受け継いだ、印刷会社を経営していました。
父の存命中から経営状況は逼迫していましたが、私が受け継いでからさらに悪化し、負債が膨れあがる一方でした。
存続を諦めて、従業員達に払う物を払える状態のうちに潰してしまおうとも思ったのですが、一代で頑張った父の事を思うと、なかなか踏み切れずにいたのが先見の無さでありました。
返済に追われ、給料の支払いさえ出来ない状態に陥ってしまったのです。
その年の暮れ、とりあえず当座1000万の金を用意しなければ、利息の支払いから給料の支払いまで滞って、夜逃げどころか首を括らなければならない所まで落ちいっていました。
妻には離婚を提案しました。
最悪の事態は自分一人で背負って行こうと考えたのですが、妻はどこまで堕ちても二人で頑張ろうと拒否してくれたのです。
二人で話し合いを重ねて、当座必要な金を、私の父の弟…叔父に貸してもらう事にしました。
もっと早い段階で頼れば、と思われるかも知れませんが、叔父と父の間には以前、会社経営に関する金銭の問題で確執があり、数年絶縁状態になっていたのです。
それでも、親戚・知人を見回して、必要な金を貸せる人物はその叔父しかなく、昔は甥の私をかわいがってくれていたという思いもあり、ギリギリのその段階で叔父の元に赴いたのでした。
叔父は不動産、建設業など手広く経営し、華やかな生活を送る人でした。
二度の離婚を経験し、とっかえひっかえ愛人のような女性を住まわせている…
私のような地味な男とは、住む世界が違うかと思わせるような叔父です。
平日の夜だったと思います。私は妻と連れ立って、アポは取らずに叔父の家を訪問しました。
叔父は一人でした。晩酌の最中だったようで、顔を赤らめて陽気な雰囲気で玄関に出てきました。
絶縁していた兄の息子である私が、夜分突然訪問してきたのです。
どんな嫌な態度を取られても仕方無いと思っていました。
そんな私の予想とは反対に、叔父は私達夫婦を家の中に招き入れ歓待してくれました。
一人での晩酌が寂しかったのか…私には酒の用意までしてくれて。
しかし、私達夫婦はそれどころではありませんでした。
明日の生活さえ先の見えない状態です…そうでなければ、絶縁している叔父の所に金の無心になど行きません。
私は勧められるままに酒を交わしながら、叔父に訪問の真相を打ち明けました。
叔父は黙って聞いていました。
その夜結局、色よい返事はもらえず、私はしこたま酔っ払い妻の運転で帰宅しました。
叔父は即答は出来ないが、かわいい甥っこ夫婦だからなんとかしてやりたい…と言ってくれ、今までの絶縁状態は解消して、相談にも乗ってくれるという事で、私と妻の携帯番号など連絡先を教えておきました。
その時の私達はそんな相談相手よりも現金が必要でした、落胆しながら帰路についたのを覚えています。
翌日、私は妻と会社にいました。
倒産間際になっても仕事は山積みでした。
昼過ぎ、私の携帯に着信が入りました。
見知らぬ番号だったので、債権者だと思ったのですがふいに出てしまいました。
叔父からでした。
私は債権者でない事に、軽く安堵しながら声を聞いていました。
その時、私は神様の声を聞くような気持ちで携帯を握っていました。
叔父は必要な金の約半額、500万をとりあえず用意したというのです。
残りの手筈もついているから、まずは取りに来いと言う事でした。
いきなりそんな大金を用意してくれた叔父です。
私が出向いて礼を言わなければ…と思いましたが、叔父は、お前は会社にいなければ何かと不便だろうから、妻を取りに来させれば良いと言うのでした。
妻に伝えると確かにその通り、誰が会社に来るかわからないし、私が取りに行って来るからと言ってくれました。
多少救われた気持ちで妻を見送り、私は残務処理に没頭しました。
どれくらい時間が経ったのか…夢中で仕事をしていて気付きませんでした。
従業員はみんな帰宅し、外は暗くなっていました。
妻が出掛けてから5、6時間は経っていました。
叔父の家は会社から30分とかからない場所にあります。
タバコに火を点けながら、事故にでもあったのでは…と心配になっていました。
妻の携帯に電話しても呼び出し音は鳴るものの、いっこうに出る気配がありません。
心配は募り、叔父の家に電話をかけようと考えた時でした。
8時をまわろうとしていたと思います。妻が帰ってきました。
私は少し疲れた表情の妻に、コーヒーを入れてやり一息つかせてから、金を受け取りました。
遅くて心配したよ、と話すと…妻は私が違和感を覚える程、驚いた表情と「えっ?」という声を発し、すぐに疲れた笑顔を浮かべました。
お金の用意にちょっと手間取ったみたいで…と言い、
妻は「早く帰ろう」と席を立ったのです。
私はこの時、わずかな違和感を覚えていたものの、何を疑う事も無く、現実の債務処理で頭がいっぱいでした…
翌日、妻は前日叔父から受け取った金の振込みに朝から出ていました。
私は会社で相変わらずの残務処理に追われ、時間はお昼を回っていました。
妻の仕事も一息つく頃だろうと思って、昼飯に誘うために携帯を鳴らしました。
妻はすぐに携帯に出て、振込みが終わったと、少し声をはずませています。
妻も毎日気苦労が耐えず、そんな風に「かわいいなぁ」と思うような、
話し方も表情も、しばらくご無沙汰でした。
大学時代にサークルで知り合ってから、ずっと一緒でした。
大学2年の時に学内のミスコンに、エントリーされた事だけが妻の唯一の自慢だそうです(あくまでもエントリーしただけなのですが…)
でも、私にとっては一番かわいい女性でした。
子供に恵まれなかった事もあり、妻への愛しさは昔と変わらないのです。
妻を近くのファミレスに誘いました。まだ先が真っ暗な事には変わりないのですが、とりあえずの金策ができた事で少し気持ちが楽になっていました。
お昼をだいぶ過ぎ、遅めのランチを妻ととっていました。
そこに妻の携帯が鳴り、妻は慌てた様子で「ちょっとごめん」と、
出入口の方に歩いて行きます。姿は見えなくなりました。
10分くらい経ったと思います。妻が戻って来ました。
心なしか、電話に立つ前より疲れた表情をしていました。
私は心配になり、「どうしたの?」と声を掛けると、急に笑顔を作った妻は、叔父が残りの金を用意したから取りに来いと言っているので、私が行ってくるね…と言います。
予想以上に早く金を用意してくれた事のお礼も言わなければならないし、私が叔父の家に行くと言いましたが、妻は「あなたは会社でやる事がいっぱいでしょ?いいの、私が行くから…」と、言い終わらないうちに立ち上がり、出入口の方に向かってしまいました。
私は一人残って飲みかけのコーヒーを飲み干し、会社へ戻りました。
今から考えれば、その時点で不自然な点や、不審な点はありました。
叔父から妻への直接の電話、私に有無を言わさないような態度で、一人叔父の家へ赴く妻…でも、その時は「金策」それしか考えられませんでした。
私は会社に戻り、残務処理に加えてその日の朝、
急に辞表を出した従業員に代わって工場の機械も稼働させなければなりませんでした。
一段落つくと時計は夕方6時をまわっていました。
私はまだ妻が帰って来ず、連絡すら無い事にやっと気付きました。
妻の携帯を鳴らします…何コールしても出る気配は無く、心配になり叔父の自宅に電話を掛けてみました。
数コールの後、留守電になってしまいました。
なにかあったのか…漠然とした不安がよぎり、私は迎えに行こうと車に乗り込みました。
その時、私の携帯が鳴り妻からの着信があったのです。
「どうした!?」と問う私に、妻は「どうもしないよ…お金受け取ったから、今帰るね。先に家に帰ってて。」と、冷めたような、気の抜けたような声で答えるのでした。
そんな妻の声を聞いたのは、結婚生活の中でその時が初めてだったと思います…
妻からの電話の後、私は自宅へ帰り妻を待ちました。
程なくして妻も帰ってきました。
電話での気の抜けた声そのままに、妻は疲れたような表情をしていました。
「どうした?具合でも悪いのか?」と問い掛けると、妻は俯いたまま首を横に振り、
「なんでもないよ…ちょっと疲れただけ。お金ね、300万円入ってる。
残り200万円は明日用意するって、大事な話もあるから、あなたも一緒に取りに来てって言ってたよ。」
妻は金の入った封筒を見せました。
その時はそれ以上妻の事を気に掛ける事は無く、
金策と今後の自分達の身の振り方で頭がいっぱいになっていました。
翌日、午後になって私は妻と一緒に叔父の家に向かいました。
相変わらずの豪邸に足を踏み入れると、妻はこの3日間通っているせいか、慣れた様子で私の前を歩き、玄関に立ちました。
インターホンで妻が「澄江です。」と声を掛けると、叔父が応答し入るように促されました。
広い邸内を妻の先導で歩き、叔父がいるリビングへ向かいます。
叔父はテレビをつけて、しかし観るでもなくタバコをふかしていました。
私達を部屋に迎え入れると、にこやかな笑顔を見せ、ソファーに座るように勧めてきます。
私が先に腰掛けると、叔父は妻に、
「澄江、カズ(私の事です)にコーヒーでも入れてやって…」と言いました。
私はその時、漠然と違和感を覚えました。
叔父は妻の事をそれまで「澄江ちゃん」と呼んでいたはず…
その時ははっきりと呼び捨てしたのです。
そして、コーヒーを入れさせるという行動…金を受け取る為に、たった2日叔父の家に通っただけの妻です。
それまで結婚式と法事でしか顔を合わせた事の無い二人…
叔父がそんなに馴々しく接し、
妻の方も戸惑う事なくキッチンに向かいコーヒーを入れている姿が、私にとってはとても不自然でした。
しかし、その時の私は何を言うでもなく、黙ってその光景を見ていたのです。
叔父からの大事な話というのは、当然私の会社の事でした。
叔父が言うには、親父の築いた会社を潰したくない気持ちは解るが、現実問題どうにもならない所まで来ている。
かわいい甥っこを見捨てる事もできないから、自分の会社で私の印刷会社を、債務も含めて引き取ってやるという事でした。
そして、その中で一部門として、印刷業はそのまま私がやれば良いというのです。
その場でかなりの時間、妻とも話し合いました。
結局、形だけでも親父の築いた印刷業を残せて、金の苦労からも解放されるという、その叔父の申し出を受ける事にしました。
私は叔父の会社で雇われの身となり、それまでの印刷会社を縮小して管理職として居残る事になったのです。
<続く>