印刷室にて
2023/07/24
あれは遠い日の90年代前半のこと。当時俺はバリバリDQNな二十歳の大学二年生。
バイトで塾講師をやっていて、俺を含めた非常勤講師は男ばかり30名ほど。
専任講師がやはり男5名、そして崖に咲いた一輪の花という事務の女性が一名。
この女性をA子さんとしよう。まあ一輪の花とはいっても飛びっきりの美女ではない。
あみん時代の岡村孝子がちょっとアカ抜けたような、今思えば平均的な女性だ。
しかし専任講師、非常勤講師を問わずライバルは多い上に、なんせガードが硬い。
しかも年齢は25歳と、俺ら貧乏学生なんぞA子さんにしてみればガキ同然だったろう。
ドライブや飲みや食事に誘っても、悉く玉砕した!という先輩の数々の体験談もあり、俺からしてみれば彼女との年齢差とか、「尊敬する先輩を差し置いて…」とか、いろんなことを考慮して、遠巻きに一方的に憧れるだけの日々が続いた。
俺は酒の場では基本的に陽で、とにかくバカ騒ぎして場を盛り上げることが多いのだが、ある日の男だけの飲み会ではなぜか陰のスイッチが入り、A子さんに憧れている先輩や専任講師数名のグループとグチっていた。
で、そのとき俺はギャートルズみたいに口語が3Dで飛び出るような大声で、
「A子さんを世界一愛してまーーーーーーす!!先輩には負けませーーーーん!!」
みたいなことを叫んでしまい、これがその場の全員に聞こえてしまった。
俺をB男としよう。この時を境に、A子&B男を本気で応援する一部の熱心な冷やかしグループ(やっかみ半分含む)を生むこととなる。
この頃の俺はどっちかって言うと、「酒の場で叫んだことだから、後で皆忘れると思っていた」気持ちが強かったが、ここまで来たら最後までトコトン行ったれー!という気持ちも俺の中にちょっと芽生えてきた。
とは言っても俺は非常勤講師だから、A子さんの顔を見るのはせいぜい週に二、三日。
それも授業開始前の数分だ。
俺「こんちはー」
A子「お疲れ様ー」
俺「えーと今日の配布物は……これですね。行ってきまーす」
A子「はーい。いってらっしゃーい」
こういうなんてことない、事務的なドライな会話がしばらく続いた。
一年が経った。俺は大学三年生。一年前の(※)の騒動は、すっかりどこ吹く風だ。
A子さんに憧れている(いた)先輩も、もうすぐ卒業というときのクリスマスイヴ。
小中学生が冬休みの頃、塾にとっては一年で最も忙しい冬季講習会を迎える。
はっきり言って戦場のような忙しさだ。なんせ受験生がドッと来るから教材の準備、入金チェック、講師のスケジュール割り振り等々で、労働基準法なんか完全無視の日々が続く。
この日のイヴの夜は冬季講習会の受付に終始したのだが、珍しく全てのチェックがノーミスで終わり、時間も十分にあったので、じゃあみんなで飯でも食いに行こうか、ただし酒は無しで、となった。
男8名ほどで、とりあえず近くのステーキ屋に行くこととなった。
正直言って俺は行くかどうしようか迷っていたのだが、先輩がA子さんにアタックしていた。
先輩「A子さん、これからメシ食いに行きませんか?」
A子「う~ん、どうしよっかなあ…ちなみに誰が来るの?」
先輩「ええっと、俺とあいつとそいつと、こいつとさらにこいつと、B男とあいつと…」
A子「じゃあいいわ。行きましょう?」
と前代未聞のアッサリOK。断る理由が120%無い俺www
これには俺ら非常勤講師もびっくり。だって、ダメもとで誘ってみたんだから。
A子さんの予定外の行動に、ダチョウ倶楽部バリに大慌ての俺たち。
「おい!だ、誰がA子さんを助手席に乗せるんだよ!!」
「俺だ俺!!!」といきなりA子さんの争奪戦が始まる。その様子を見てほくそ笑むA子さん。
結局ジャンケンで勝った先輩が、A子さんをステーキ屋まで乗せることに。
他の男7名はorz状態で相乗りして店で合流。次に問題なのは、誰がA子さんの隣に座るかだ。
これもジャンケンで買った人の権利。俺はというと案の定orzな席に。。。
とまあいろいろあったけど、A子さんを交えてささやかなクリスマスパーティーが始まった。
いつもはビールジョッキ片手に暴れる兵どもも、今日は酒がないのでやけに大人しい……
かと思いきや、玉砕回数の最も多い卒業間近な先輩が切り出した。
以下先輩の会話の趣旨。
「A子さんは、俺が何度も誘ってもいっつも断ってたけど、今日は嬉しい!
ズバリ聞きますけど、A子さんの好みの男性のタイプは?つか彼氏いるんですか? いるとしたら、婚約はいつですか?彼氏いなければ、この中に好みのタイプいます?」
みたいなありきたりな内容だった。
これに対するA子さんの衝撃の回答はこうだ。以下趣旨。
「今日は誘ってくれてありがとう。てゆうか、いつも誘ってくれて断ってばかりでごめんなさい。
でもね、こう言ってはなんだけど、あたし女子ばっかの学校出だから、男の人ってまず苦手なの。
その中でも今日のメンツには、あたしが特に苦手とする人がいないから安心だわ。
だから今日は参加させてもらったんだけど、その前にあたしの話を聞いてくれる?
あたし、授業前にいつもカバン(←出席簿、配布プリント等が入ったもの)用意するでしょう。
それはあたしの義務だからともかく、帰って来たカバンで大体の性格は分かるわね。
誰とは言えないけどあたしが苦手とする人は、その横暴さがはっきりあらわれているわ。
でもね、今日集まってくれた先生方は、み~んなきちんとカバンを返却してくれるの。
中身はきれいだし、チェックシートや出席簿なんかも丁寧に書いてくれるから助かるわ。
あたしが見る限り、そのカバンと先生方の身だしなみって、ほぼ100%関連しているわね。
苦手な人が一人でもいたらあたしは絶対出席しないけど、今日は好感度の先生ばっかりよ。
うふふふ、驚いた?これがあたしの仕事なの。それで本題なんだけど……、実はあたし、彼氏いないの。好みのタイプがどうとは上手く言えないけど、でもこの中に好きなタイプの先生はいるわよ。その人が本気でプロポーズしてくれたら、多分OK」というものだった。
「彼氏いないの」の発言の時は、男どものテンションがピークに達したが、その直後の
「この中に好きなタイプの先生はいるわよ」発言のときは、一気にテンション下がってしまった。
A子さんを中心に、なんか妙な駆け引きが俺らで始まりそうで、またその真意を知りたい好奇心と、知らないまま終わるのがお互いにベターなのではないか、という複雑な心理がはたらき、暗黙の了解の内に俺らはありきたりな、無難な会話でイヴの夜を過ごした。
少なくともこの時点で、「A子さんの好きなタイプは、確率的に俺ではないだろう」と思っていた。
年が明けた春、俺は四年生となっていた。四年ともなると学業が本格的に忙しくなる。
しかも与えられた卒論テーマが実に面白く、また同じ研究室に彼女ができたこともあり、バイトの方はどうしても疎かとなる。それでも週に一日はクラスを担当していたのだが、その後の飲みとかは、ほぼ100%欠席の状態が続いた。
ある日、学食でバイトの後輩とばったり会う。そこでの後輩の会話(以下趣旨)
「B男先輩、お久しぶりっす!最近付き合い悪いから寂しいっすよお。
またみんなでテツマンやりましょうよー!それか俺の店行きません?
ちゃんとボトルキープしてますから!あ、そうそう、最近A子さんがよく飲みに来るんですよ。
前だったら先輩方がお誘いしても、100%NGだったのに。。。
なんか最近、人が変わったようにアクティブになりましたよ、A子さん。」
この時点で鈍感な俺は、超鈍感な俺は、ウルトラスーパー鈍感な俺は、
「A子さんの言う特に苦手な人ってのは、俺の先輩の同期だったんだ」としか思ってなかった。
夏が来た。
本来なら、忙しい卒論の合間をぬって彼女とひと時の思い出づくり……となるのだが、最高の時期に最悪のタイミングで彼女と喧嘩してしまった。
彼女とは研究室で会いにくい。そんな気持ちを察してか、彼女から先に帰省すると言い出した。
そんなわけで俺の夏休みが丸々空いてしまったので、四年生の夏も塾の夏期講習をやることに。
彼女に対する意地もあり、俺は過去四年分のバックアップからコピー&ペーストでまとめ、夏期講習会用の最高のオリジナルプリントを仕上げた。
ところがこれ、20ページ×500人で、およそ10000枚もの膨大な量となる。塾の事務室に隣接して印刷機があるのだが、さすがにそれだけのボリュームとなると、塾長の許可を得てやらなければならない。
それで夏期講習前の、ある日曜日(塾は休み)に印刷機を独占してよい、ということとなった。
その日曜日が来た。俺は予め塾長からカギを借りていた。
普通に考えればただひたすら印刷するだけだから、穴の空いたジーパンにTシャツとか、普段の小汚い格好でも良いのだが、非常勤とはいえ「先生」と呼ばれる存在である以上、スーツのズボンにYシャツ&ネクタイという、授業のスタイルで塾の印刷室へ向かった。
日曜の朝九時。誰もいるわけない事務所に「おはようございま~す」と言ってから印刷室のカギを空け、ブレーカーをONにして必要最低限の電気を確保する。
そして原稿を一枚、また一枚と印刷機に刺しこむ。これの繰り返し。
そういう無機質な作業を、一体どれだけ繰り返して来ただろうか。
部屋には印刷機特有の「ガーーット ガーーット ガーーット」というリズミカルな音が延々と鳴り響く。
「はぁ…」俺は思わずためいきをついた。
「彼女との意地があったにせよ、なんで俺、10000枚も印刷しなきゃならないんだろ…いつ終わるんだろ…」
と半ばヤケになりつつあったのが正午前だったろうか。
山のような印刷物を前にボーっとしていたらなんと……
隣には天使のような微笑でA子さんが立っていた
くぁrtfgyふじこ!!!!!!!!!!!?????????????????????????????????????????????????????????
と状況がまるで分からない俺。とりあえずうるさい印刷機を止めた。
「どどどど、どーしたんですかA子さん!!!?きょ、きょ、今日は日曜でお休みでしょう!?」
と軽く、いや、極めて重くふじこってしまった俺。
それに対して冷静に、かつ笑みを崩さず会話を続けるA子さん。
「うふふ。やっぱり今日来てたんだ、嬉しい。ほら、B男先生がたくさん印刷するって、塾長に言ってたでしょう?
それでね塾長が予め、夏期講習に備え印刷室にコピー用紙を大量に用意しておくように、
特に○○日の日曜はB男先生が10000枚使うからって、あたしに言ってたのよ。」
「な、な~んだ、そういうことだったんですか。あ、あははっはははhっは…
あれ?で、でも事前にコピー用紙はA子さんが用意してくれたんでしょう?今日はなぜ?」
「んっもう、にぶいなあ。あたし手伝いに来たんだけど、もしかして邪魔?」
「じゃ!邪魔だなんて、とととととんでもない!ぜひお願いします!!」
もう嬉しくて舞い上がって、さっきまでのやる気のなさは完全にフッ飛んだ俺。
一度は本気で憧れたA子さんが、今日はこの狭い部屋に二人っきりでいる。
それだけで俺はもう至福のひと時。ところが、A子さんはそのさらに上を行っていた。
「ねえ」
「は、はい?」
「あたしのこと、好き?」
「え?あ、は、はい!大好きです!一年のときから、ずーっと憧れてました!」
「うふふふ、ありがとう。あたしもB男君のこと、好きよ。B男君が一年生のときからずっと」
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もー理性とかそんなものは一兆光年彼方の世界に置き去りになった。
「でもね、B男君」
「」は、はいっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!?
「どうしてあの時(※※)、プロポーズしてくれなかったの?あたし、あの時言ったわよね。
この中に好きなタイプの先生はいるわよ。
その人が本気でプロポーズしてくれたら、多分OKって」
「fvdbtっさdklんcbふcdさklあああああああああああ、あ、あ、あ、あ、あ、あのときは、
まさか俺がA子さんの好みの男とは思わずに、つい、その、いやてっきり先輩が好みかと…」
「うふふふ、たしかにあの先輩も悪くないわ。でもね、あたしにとって一番はB男君なの。
B男君の話(※)も聞いたわよ。塾長から間接的にだけど、あたし嬉しかったなあ。
できればその勢いであたしから話したときに(※※)、みんないる前で言ってほしかったなあ」
「じゃ、じゃああああ、今こここここで、改めて!」
「ごめんなさい、もう無理なの」
「無理って!!?」
「あの後から両親がお見合い話を進めて、、、それであたし、来月に結婚退職するの」
「えええええええええええええええええええええええええ!!!?そんなの初耳ですよ!」
「そうでしょうね。あたしもこのこと、塾長にしか言ってないもの。
でもB男君には知ってほしいと思って、最近はよく先生と飲みに行ったんだけど、
B男君が四年生になってから全然来なかったわよね?あたし、寂しかったんだから」
「ごごごご、ごめんなさいっ!」
「うふふふ、謝らなくてもいいわよ、知らなかったんだからしょうがないじゃない。
この際だからB男君だけに言っておくけど、実はあたし、もう三ヶ月なの」
「さ!!!三ヶ月って……!?」
「もう、あたしに言わせないでよ。できちゃっただなんて。うふふふ」
10000%完全orzで
どこから立ち直ればいいのか分からない俺
「B男君?」
「なんすか?」
「あたしのこと、軽蔑した?」
「…いいえ。俺はガキだから、まだ頭の中が整理ついてないけど、ここは悔しさをこらえて、
涙を拭いて、笑顔で『おめでとう』と言うのが筋だと思います。なんだかよく分からないけど」
「ありがとう。B男君ならきっとそう言ってくれると思ってた。
もう一つ聞きたいけど、今でもあたしのこと好き?」
「大好きです!俺にとってA子さんは現在・過去・未来と最高の女性です!」
「うふふふ、嬉しいわ。大好きなB男君にそう言ってもらえて。ねえ、抱いて?」
「こ、こうですか?」
「そうじゃないわよ。なに腕に力入れてるのよ。『抱く』って言うのはそういう意味じゃないわよ。
言ったでしょう?あたし、『三ヶ月だ』って。」
もうこれに関してはいきなり全てのことが理解できたね。
俺はちょっと待って下さいと言って中断した印刷機を再開させ、
原稿も500枚なんて言わず、MAXの9999枚に設定してしかも最低速にしてやった。
印刷機の設定が終わり、「ガーーーーーット ガーーーーーット ガーーーーーット」
という遅い、しかし人間の声を消すには十分な音源を確保できた。
そして、印刷室のブラインドを下ろし明かりを消し、全ての準備が整ったところで彼女を見たら、
すでにブラとパンツだけになっていた。
薄暗い室内だが、彼女の体の美しさはどっからどー見ても分かる。
三ヶ月だなんて、言われなければ全く分からないほど地上最高に美しい体だ。
俺とA子は夜まで、その印刷室で愛し合った。お互い愛しすぎて、体が爆発しそうなほどに。
『狂う』というのは、あのようなことを言うのだろう。
少なくともあの数時間は、お互い人間ではなく動物と化していた。
このまま延々と動物でいたい、このまま時が止まってくれ、、、とお互い思っていた。
しかし現実という悪魔が俺たちの幸せの時間にピリオドを打つ。
動物から人間に戻った二人は、あのステーキ屋に行った。
去年のクリスマスイヴはパーティールームだったが、今日はカップルのシートだ。
二人は地上最高に美味しい、\1,980のディナーを楽しんだ。
十分に楽しんだ後、二人は夜の無人の塾の駐車場に戻ってきた。そして彼女が言う。
「今日はありがとう。B男君と会えるのも、あと少しだね」
「そうですね。俺たぶん、今日は一生で最も女性を愛した日になると思います」
「あたしも、たぶんそうかも。でもこのことは内緒だよ?」
「分かってますよ。A子さんも内緒にして下さいよ?一応俺、彼女いるんだから。喧嘩してるけど」
「ダメよ、女の子を泣かせちゃ。幸せにしてあげないと」
「A子さんくらい幸せにしてあげたい女性なんて、今の俺にいませんよ」
「お世辞でも嬉しいわ、ありがとう。じゃああたし帰るからね。バイバーイ」
「さようなら」
「あ、B男君はこれからどうするの?」
「塾に戻ります。印刷があと4500枚ほど残っているのと、9499枚の無駄な印刷を廃棄しないといけないので」
A子の温もりがかすかに残る夜中の無人の印刷室で、俺は涙を拭いながら徹夜で印刷を続けた。
長文すまん。