夫婦の卒業式

2021/03/03

私は昭和(あきかず)49歳、元妻は千秋45歳で、今年の3月末日をもって完全に離婚しました。
戸籍上の離婚は昨年の4月1日でした。
昨年、一人息子が大学を卒業して就職したので離婚したのです。
しかし、1年間は事実婚を続けました。
私は今年4月1日、31歳の裕子と再婚し、11歳の娘と3人で暮らしております。
娘は私と裕子の子供です。
元妻千秋も今年4月1日、57歳の幸造さんと再婚しました。
裕子と幸造さんは父娘です。
今から16年前、マンションの隣室の幸造さんの奥さんが41歳の若さでお亡くなりになりました。
幸造さんと奥さんは高校の同級生夫婦でとても仲良しでした。
当時、一人娘の裕子は15歳、高校1年生でした。
私は当時33歳、妻千秋は29歳、息子は小3で9歳でした。
私達夫婦は、あまりに気の毒で幸造さん父娘のサポートをしていました。
妻は平日の夕食や洗濯を手伝い、私は、裕子の高校が通勤経路途中にあったので車に乗せてあげていました。
裕子は、帰りはバスを利用していたのですが、私が残業でない時は帰りも乗せていました。
裕子は、私達夫婦がデートするとき息子の面倒を見てくれるなど恩義がありました。
しかし、このサポートが私達を変えていきました。
私は土日休みという平凡な勤務形態でしたが、幸造さんは出番と非番がある勤務でした。
幸造さんの奥さんの三回忌が終わった頃、私は珍しく外回りをしており、時間が2時間ほど空いてしまったので帰宅して昼食をとろうとしました。
玄関に近付くと手前のキッチンの窓の隙間から二人の影が見えました。
千秋と幸造さんでした。
二人は抱き合ってキスしていました。
そして、奥のリビングに消えていきました。
私はショックで目眩がしました。
玄関からそうっと入り、リビングを覗くと、ソファーに仰向けになった下半身だけ露出した千秋の恥穴に全裸の幸造さんの男根が生で挿さっていました。
繋がりながら千秋は少しずつ裸に剥かれ、やがて全裸にされました。
千秋の秘穴は愛液で溢れ、幸造さんが腰を振るたびクチュッと音を立て、千秋は、「ふうんふうん」と甘く喘いでいました。
やがて、幸造さんは「千秋さんイキます。」というと、千秋の乳房に精子を放ったのです。
私は、またそうっと部屋を出て行きました。
その夜、私は千秋を求めました。
千秋は応じてくれました。
クンニするとき千秋の恥穴を凝視しました。
千秋は私に19歳の処女を捧げた女です。
恥唇の褐色の色付きは、処女喪失以来13年間私だけとの性交によるものと思っていましたが、一体何人に身体を開いたのかと疑ってしまうようになりました。
私は千秋に男根を挿入し、千秋の好きな内襞奥をいつもよりしつこく、苛めるように擦りあげれば、息子に声が聞こえてはまずいと必死に声を押し殺してヨガりました。
そして、幸造さんと同じく乳房に精子を放ちました。
私はリビングに8ミリビデオを仕掛けました。
サイドボードのカメラを収納している場所に置けば全く不自然さはありませんでした。
画面いっぱいにソファーが写るよう調整し、180分テープを2倍モードで仕掛けました。
6時間撮りきると巻戻されて音がするので、5時間ほどで電池が切れるように小細工もしました。
朝、出掛けに仕掛けました。
息子が帰ってくるので絶対午前中に済ますはずです。
2週間撮影しました。
10本のテープのうち、4本に千秋と幸造さんの性交画像が写っていました。
中出しも1本ありました。
私が中出しした翌日でした。
週に2回の性交は、幸造さんの非番の日でした。
会話も音量は小さいですが録音されていました。
「一回り年上の中年チ○ポはいかがですか?」
「ハアハア、美味しいです。」
「チ○ポの周りに白髪も出てきましたが、まだまだいけるでしょう?」
「凄くいいです。アアッ!中にどうぞ!主人も昨日中に出しましたから。アアアー」幸造さんは腰をブルブルさせながら千秋の子宮めがけて精子を発射したようでした。
私は震えが止まりませんでした。
仕事が定時に終わったので、もうすぐ社会人になる裕子を乗せて家路に着きました。
裕子も2月に18歳を迎えましたので、私は思い切って裕子に千秋と幸造さんのことを打ち明けました。
8ミリビデをで中出し映像を見せたところ、「ごめんなさい。」を何度も繰り返し、「もうダメね。」と言って泣き出しました。
裕子は、幸造さんが非番の明後日の金曜日、二人で休みを取って踏み込もうと言い出しました。
そして、「私はオジサンの味方よ。」と言って私の胸でシクシク泣きました。
可愛くて思わず抱きしめてしまいましたが、すっかり大人の女性で、もう、隣のお嬢ちゃんではありませんでした。
決行の日、私と裕子は自宅マンションを張り込みました。
私の部屋のリビングにはワイヤレスマイクを隠して来ましたので、中の様子がFMラジオで確認できました。
幸造さんが私の部屋に入りました。
暫くすると、千秋の色っぽい声がFMラジオから聞こえてきました。
踏み込み時です。
慎重に解錠して、自分の家なのにそうっと侵入します。
リビングの扉は空いていて、モロに声が室内に響いてます。
「千秋さん、私は切ない、あなたを愛してしまった。」
「アン、アァ、幸造さん、私もあなたに心を奪われていく…」私はガクッと跪いてしまいました。
そんな私を見かねて裕子は、「お父さん!自分が何してるかわかってるの?」そう言ってリビングに踏み込みました。
「うわあ!ゆ、裕子?何で?」
「ええっ?裕子ちゃん?学校は?どうやって入ったの?」幸造さんと千秋がパニックになっていました。
裕子が、「オジサン、大丈夫?」と腕を抱えてくれて、やっと私は立ち上がりました。
「ああ!あなた…」
「昭和さん…」私は、「千秋、幸造さんに心奪われてしまったのか…いいよ、離婚するよ…」裕子が「オジサン違うでしょう!お前なんか離婚だ!って言わなきゃ!」と言いながら涙をぼろぼろ流していた。
「お父さんもオバサンも大っ嫌い。わたし、就職したらオジサンと二人で暮らすから。オバサン、早く離婚してオジサンを私に頂戴。」私はびっくりしてオロオロしてしまいました。
「裕子ちゃん、何言ってるの?」精一杯の言葉でした。
「私の理想の旦那さんは昭和オジサンなの。オバサンはお父さんと結婚すればいいでしょ。」裕子は大声で泣きながら部屋を出ていきました。
息子が帰ってきて私がいるのも不自然なので、私は近くのコンビニに駐車した車に戻りました。
そこには裕子が立っていました。
裕子は、「オジサン、どこか行こう。明日と明後日休みでしょう。二人で家出しましょう。日曜の夕方まで心配させてやるのよ。」私は、裕子を乗せて走り出しました。
私は北へ向かいました。
何故でしょうか、逃避行は北へが定番なのでしょうか。
雪景色になってきましたが、スーツ姿の30代半ばの男と制服姿の女子高校生ではまともな宿泊施設には入れそうもありませんので、誰にも顔を合わせることなく手続きができるモーテルに入りました。
室内は淫靡な雰囲気で、裕子はキョロキョロしていました。
風呂に入ろうにもガラス張りでした。
裕子は「うわー丸見えじゃん。」
「裕子ちゃん、オジサンはあっち向いてるから先にお風呂に入りなさい。」
「いえ、オジサン先にどうぞ。」そう言うとテレビを見始めました。
仕方がないので先に入って身体を洗っていると、「お背中流しましょうか?」と裕子が入って来ました。
「こ、こら!冗談が過ぎるぞ!」小柄な裕子でも18歳です。
「オジサン好きよ。」背中から抱きつかれれば男根が反応します。
「オジサンのおっきくなった。私を抱きたいの?」
「大人をからかっちゃダメだよ。」私は男根をおったてたまま石鹸を流し先に風呂を出ました。
童顔で小柄な裕子もモーテルのバスローブ姿はなかなか色っぽいものでした。
途中のコンビニで買ったカップラーメンとおにぎりで腹ごしらえしました。
その後、私はウイスキーを飲りながらテレビを見ていました。
「ウイスキーって美味しいの?」と言うので一口飲ませたら、「意外とイケル」と3杯も飲みました。
「裕子ちゃんはベッドに寝なさい。オジサンはソファーに寝るよ。」
「寂しいから一緒に寝て。お願い。」と涙ぐまれ、結局は裕子と一緒に寝ました。
裕子は裕子は甘くいい匂いがして男根が落ち着きません。
「オジサン、抱いて下さい。」
「高校生が言うセリフじゃないよ。」裕子は、私の股間に手をやり、「うそつきね。」と言って、バスローブを脱ぎました。
もう限界です。
小柄でもバランスの取れたプロポーションで、胸もツンと上向いてそそりました。
「裕子ちゃん…」キスから首筋、形の良い乳房を味わい、いよいよ18歳になったばかりの恥穴を…縦筋しかない未発達な恥唇を舌先で掻き分け恥穴を拝めば、そこには桃色に輝く可愛い蕾が開いていました。
そして真珠のように輝く恥芽を含み、優しく舌先で撫でてあげました。
「はあー」深呼吸するように裕子は喘ぎだしました。
恥芽への刺激を続けると「はうっ、はうっ」と身体を震わせ脚を閉じてしまいました。
「裕子ちゃん大丈夫?」
「ハアハア、オジサン…身体が痺れるような変な感じ…」裕子はイキかけたのだと思います。
「今日はここまでにして止めようか?」
「オジサンはクンニというのをしてくれたんですよね。今度は私にフェラチオさせて下さい。」そう言うと、私の男根をじっと見つめ「こんなに大きくなるんですね。これが入るんですね。」と言いながら舐め始めました。
拙いフェラでしたが、裕子の私への愛情が伝わりました。
「よろしくお願いします。」裕子は仰向けになって開脚し、私に恥部を晒しました。
私は、ゆっくり裕子に挿入しました。
当然閊えますが構わず進みます。
裕子は目を閉じ唇を噛んでいます。
「痛いか?」
「だ‥だい‥じょうぶ‥です。」健気に我慢していました。
一気に片をつけたほうが良いと判断し、裕子を強く抱きしめ奥まで挿れました。
「あつっ!」ゆっくり動かしました。
裕子の可愛い顔が歪みました。
暫くゆっくりピストン運動しましたが、可愛い隣の高校生の女の子を抱いている現実に興奮して、裕子のお腹に精子を放ちました。
私の男根は、裕子の血で真っ赤でした。
翌日は着替えを購入しました。
幸い裕子は小柄で童顔なので、ツインテールにして小学校高学年風にして、親子に成りすまし、温泉旅館に泊まりました。
浴衣の裕子も可愛いやら色っぽいやらで、処女喪失の翌日というのに抱いてしまいました。
前戯二時間をかけ、ゆっくり優しく抱きました。
日曜日の午後、私と裕子は帰りました。
千秋と幸造さんは憔悴し切っていました。
息子は事態を理解してはおりませんでしたが、何かを感じ取ってはいました。
千秋と幸造さんが、ある提案をしてきました。
・最終的に、私と裕子、千秋と幸造さんが夫婦となる。
・息子が一人前になるまでは私と千秋は夫婦として生活する。
・私と裕子、千秋と幸造さんは自由に体の関係を持って良い。
これに私は注文をつけました。
・私は千秋とも体の関係を持てる。
・裕子と子供をもうけても構わない。
千秋と幸造さんは、この条件を呑みました。
裕子は嫌がりましたが、追加条件で渋々受け入れました。
・裕子を抱く頻度は、千秋を抱く頻度より多いこと。
私は裕子を愛しつつ、幸造さんが愛する千秋を抱き続けました。
でも、これは夫婦として息子の前で振舞うには必要なことでした。
千秋は、私に抱かれるときは夫婦愛、幸造さんに抱かれるときは恋人気分で抱かれるのだと言いました。
裕子は20歳で私との間に娘を産みました。
当然認知しました。
幸造さんは、孫をとても可愛がっていました。
息子が就職した年の4月1日に、私は47歳で43歳の千秋と離婚届けを提出しました。
前日の3月31日、私と千秋はホテルの最上階の部屋で夫婦最後の夜を迎えました。
二人が出会った頃や初めて結ばれた日など思い出を語りながら、とてもロマンチックに過ごしました。
夫婦として最後のセックスをしました。
しかし、私達は1年間事実婚を続けました。
千秋は、離婚後1年経たなければ再婚できません。
だから、私だけ裕子と再婚するのでは千秋が可哀相なのです。
そして今年の3月31日、翌日は二人とも新しいパートナーと婚姻届を提出するので本当に最後の夜でした。
長年夫婦性活をしたベッドで本当に最後のセックスをしました。
このベッドだけには幸造さんも触らせていない神聖なベッドですが、4月1日に処分されるのです。
今迄で一番長いキス、今迄で一番長い前戯、今迄で一番長く繋がっていた二人は、翌日、最後のキスをして別れました。
25年間の夫婦の卒業式はやっぱり切ないものでした。
私と裕子夫婦、千秋と幸造さん夫婦は同じ都市に住んでいますが、直線距離にして約20km離れていますので別れたきり一度も会ったことはありません。
幸造さんは、娘や孫の顔を見たいでしょうが、生きているうち会えるかは疑問です。
私だって、夫婦の卒業式の切ない気持ちと共に千秋を思い出しますが、決して会いには行きません。

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