事故

2018/08/29

20歳の時のことだ
俺は関西の大学にいってて、アパートから大学まで
400ccの単車で通ってたんだ
バイクとの付き合いは長く、中○1年の時からバイク
乗り回してて、それなりに運転には自信もあったし、
柔道を小さなころから習ってたせいか、こけても不思議と
大怪我なんかしたことなくて、せいぜいスリ傷ぐらいのもんだった
20歳の大学の春休み、俺は実家にも帰らず留まってた
当時確か、ろくな生活してなくて体重が50kg切ってしまってて
バイト先で何回もぶっ倒れて3回目にぶっ倒れた時にバイト先の
店長から
「お前をこれ以上働かす訳にはいかない、休んでくれ」と言われた
まぁクビですなww
んで、ある程度貯金もたまったし、新しいバイクを買うか、ボロアパート
から引越すか悩んでた
ここからは、ほんとに記憶がないので後で分かった状況だけ書く
俺は革ジャン、革パンツを着て、その当日に開通した有料道路を
走りに行ってたようだ
夜の12時半、どうやら事故ったらしい
警察に連絡がいく(夜12時40分ごろ)
おれの微かな記憶では、男が「大丈夫か?」と聞きながら
革ジャンのファスナーを開いてくれた
女の叫び声が聞こえる(多分血だらけの俺をみて叫んだみたい)
午前1時、病院に運びこまれる
午前4時ぐらいだろうか、俺の両親が病院に到着
俺は覚えてないが、両親に「悪い、せっかく五体満足に
産んでくれたが、足を一本無くしちまった、ゴメン」
と言ったそうだ
午前8時頃、俺が当初運び込まれた病院でのこれ以上の処置は
不可能と判断され、神戸中○市民病院に救急車にて転送される
意識はちょくちょく回復するが、直ぐに落ちる
俺親、最初に運び込まれた病院から覚悟しろと告げられたそうだ
転送先の救急科に運び込まれる
転送先の病院でまず最初にやったのが、俺の右胸に
カテーテルが刺さってたのだが、これを麻酔なし
で引き抜き、一回りでかいカテーテルを右胸に刺し、縫い付けた。
俺は叫んだらしいが、直ぐに意識がなくなったそうだ
右肺に折れた肋骨がズタズタに刺さって、肺からかなり出血してる
最初に運びこまれた病院で刺したカテーテルでは小さすぎて詰まってしまってる
とのことだった。
ようは、肺の中に溜まった血を抜くためのカテーテルなんだが、折れた
肋骨が肺を引き裂いてるんで、肺のきれっぱしが詰まってしまった
んだと。
おまけに腎臓が片方潰れてるらしく、水を飲ませて貰えない
俺は17箇所骨折し、熱も40℃ちかく出てたので激しく
喉が乾き、何回も水をくれっと言っていたそうだ
水は飲ませてもらえなかったが、クラッシュアイスは舐めてもいい
と言われて、コップに半分程度の氷をちょっとづつ舐めてた
舐めるって言っても、口がろくに開かない
顎を3箇所骨折して変形してるんだ、思いっきり顔が歪んでるw
多分救急病棟に運び込まれて2日経過した時だろうか
救急病棟といってもベッドが20ぐらい並べてあって、仕切りはカーテン
だけだ。
ひっきりなしに救急車が来ては、患者が運びこまれてくる
その度に、叫び声や泣き声がそこらじゅうで聞こえてくる
俺は状態が状態で意識朦朧としてるのであまり気にならなかったが、
俺の親は数m先で生と死が繰り返される状況でかなり参ってしまった
と後で聞いた
母親はその時のショック?で声がしばらく出なくなってしまった
俺が死んでしまうかも知れない、直ぐそこに死神がいて俺を連れて
行ってしまうかも知れない、そんな恐怖感を覚えたそうだ
しかし、俺自身はなにも「死」など感じなかったし、怖くも
無かった。
「ひどい怪我しちまった、治るまでは時間がかかりそうだ」
これぐらいにしか思わなかった。
1週間ぐらい過ぎただろうか
意識を無くすことも無くなり、話をする余裕もできた。
しかし、相変わらず腎臓の状態は良くないらしく、
顎は早く手術をしたほうが良いのだが、腎臓の状態
がよくならないと手術は出来ないといわれた。
このころになると意識がはっきりしてくると同時に
強烈な痛みとの戦いだった。
そりゃそうだ、肋骨11本、顎3箇所、肩甲骨2箇所
脊髄1箇所、右腎臓、肝臓、脾臓、右肺がつぶれて、
右足は根元から全く感覚がなく、左腕にはアダプター
付の点滴の管が刺さり、足の付け根にはカテーテルが繋がれ、
点滴が8本もぶら下がってる
まるでTVで見るような光景だ、自分で動かせるのは
左手と左足を少しだけ
こりゃいったい、どうなるんだ俺という事を考え始めた。
言い換えれば、それまではそんな普通な思考さえ出来ない
状態だったんだな、と思う。
事故った時期が悪かった
入りたての新人看護師が10人ほどやってきた
俺の足の付け根、チンコの横だ、そこに刺してる
カテーテルを刺し換えることになり、医者とともに
その新人看護師は見学にやってきた
俺はどうすることもできない、チンコ丸出しで
医者にチンコの横をメスで切られる
それを俺と同じ年ぐらいの女の子10人に見られる
この屈辱、わかるか?www
しかも、医者はうまいことカテーテルを通すこと
ができず、チンコ周りは血の海だ。
恥ずかしい状況も相まって、思わず医者に
「このどヘタクソがっ」って言ってしまった....
10日ほど過ぎた頃から、次々と救急病棟以外の医者
が俺と話にやってきた。
心臓外科医、整形外科、口腔外科医、循環器外科医
それぞれ俺の今の状態を説明していってくれる
しかし、んな事聞いてもなんの事だかさっぱり
わからん
後で聞いた話だが、あまり長く救急病棟に患者を置いて
おくことは出来ないので、どこかの病棟に移さなければ
ならないのだが、俺の症状を聞いてどこも嫌がって
中々受け入れ先が見つからなかったっとの事だ。
丁度2週間目の日、俺は整形外科に移動が決まった。
俺はベッドに納まりきらない、機械類を引き連れて
ベッドの周りには3人の看護師がついての移送、
まるで大名行列だwww
とりあえず4人部屋に入ることになったが、起き上がる
ことも出来ないので、声だけでよろしくお願いします
と言ってみた
整形外科に移動した翌日、さっそく俺は個室に移動
させられた
俺の体に接続されてる機械類の音がうるさくて、他の
3人の患者が寝むれないらしい
俺としては余計な気を使うことも無く、気が楽だったので
むしろ嬉しいぐらいだった。
移動してからは徐々にいろんな検査が始まった
レントゲンを始め、CTやら超音波など
この頃に人工透析をする。
1回目は効果がでず、2回目で少し腎臓が動き始めたそうだ
計3回おこなったが、5時間近くじっとしておらないと行けない
人工透析、慢性腎臓病で定期的に人工透析を受けなければ
ならない人の辛さがちょっとだけ解った気がした。
それと、肺からの出血が中々収まらず、輸血を何度となく
したのだが、一度輸血後に血圧が200まで上昇し、目が回った
こともあった。
入院してから1ヶ月が過ぎた頃に、口腔外科の医者から手術
をしましょうと言われた
顎は折れたまま放っておくと、癒着してしまうので
早く正しい形に戻して固定しなければならないとの事だ
生まれて初めての手術だったが、手術に近いような事
を散々やられてきたので、不思議と恐怖は無かった
全身麻酔って気持ちいいなぁっと思ったのは内緒だwww
しかし、手術が終わり目が覚めた後は苦痛でしかなかった
レントゲンで見せてもらったが、俺の下顎にはなんと16本
のネジが刺さってる
確かに、歪んだ顔は元に戻ったが、術後の痛みは相当な
もので、顎の手術なのに丸2日、俺は身動きすら出来ずに
痛みを堪えてた
痛みがマシになってくると、今度は口を開けろと医者は
言いやがる
なにもせんでもズキズキする口を無理やり開ける事が
どんだけ苦痛か・・
口内は舌でさわると直ぐにわかるのだが、縫い糸だらけだ
自分の舌で触ってわかる
自分で見えないのが唯一の救いだ、きっと口の中が糸だらけな光景
を見たら、俺は口を開けるリハビリをする気には絶対ならなかっただろう
1週間後、抜糸が終わる頃になると、点滴の数も2本に減り、
スタンドを立てて車椅子に乗れるようになった。
しかし、これまで40日近く寝たきりだったので、起き上がった
時に目眩と吐き気がして車椅子にのるのに30分もかかって
しまった。
右足は当初根元から無かった感覚が幾分戻ってきた。
膝のあたりまでなら触ったら解る程度になっていた。
しかし、おしりからふとももの裏、膝から下は相変わらず
全く感覚がない。
肋骨や肩甲骨もくっつき始めたらしく、大きく体勢を変えない
限り、痛みは感じなくなった。
車椅子に乗れるようになったからと、チンコに刺していた
尿を出す管を引き抜いた。
うん、まさに引き抜くって感じ、内臓が引っ張られたようだった。
引き抜いた後、初めてのしょんべんは、今までかつて味わった
ことのない激痛とともに出ていったww
自分で車椅子に乗れるようになったので、病院中をあちこち探検
してみるようになった
俺は確か8Fだったが、売店は地下1F、エレベーターに乗って地下
にいき、自分で好きなものを選んで買う
たった、これだけのことが無償に嬉しい
先週までは自で動くことができなったせいだろう。
とにかく、ハイハイし始めた赤ちゃんのように、時間があれば
うろつき回ってたw
見た事ある看護師、そうだうちの母親が
「可愛らしい看護師さんがいてね
トイレの尿瓶洗ったりするところで色々お話したのよ」
って言ってた新米の看護師だ。

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