キーセンパーティー

2023/04/30

今から40年近い昔の事です。

東京オリンピックが開催され、日本もようやく海外旅行が自由化なった頃です。
JTBや日本旅行、近畿ツーリスト等が海外旅行のパンフレットを出し始めました。

あるパンフレットに「韓国観光旅行、希望者はキーセンパーティーにお連れします。」という文句が掲載されており、
「キーセンパーティーって何だ?」
友人と早速旅行社へ出向きました。

「キーセンパーティーとは、韓国の芸者さんとの宴会ですよ、ただ向こうの芸者さんはみな20代の若い女性ばかり、とても楽しいですよ」
と旅行社の人に勧められ、友人2人と参加することになりました。

外貨の両替は、まだ1ドル360円の時代、外貨の持ち出しは1人500ドルまで、銀行で両替する際にパスポートを持参して、パスポート最終ページにどれだけドルと両替したか銀行が証明をする時代でした。

羽田(成田はまだ未完成)から韓国ソウルまで約3時間、今のジャンボのような大型機ではなく、片側3列ずつの飛行機でした。

ソウルに着いて直ぐに観光、京都のような寺などを回りましたが若者には不評、早々にホテルにチェックインし、夕食を待ちました。

やがて添乗員が迎えに来て、ホテル前からタクシーに乗り込み夕食場所へ向かいました。

着いたところは日本で言う料亭のような料理店、座敷に上がり込みテーブルの前に敷かれた座布団に座りました。

「皆さん、これからキーセンパーティーが始まります。
皆さんの前のテーブルにはお料理が運ばれ、そしてお隣にはお待ち兼ねのキーセンが参ります。
ただし各自の左隣に座ったキーセンがパーティーのお相手となります。
右側ではありませんので注意して下さい。
そして皆さんはお料理を召し上がる時は手を使わないで下さい。
欲しい料理はキーセンが全部食べさせてくれます。
飲み物もお酌はちゃんとしてくれますので、ご心配なく、それから彼女たちは皆大学を出ておりますので、英語・日本語はペラペラですから、言葉の心配はいりません。」

添乗員の説明で
「オゥ~、こりゃすげ~や、全部食わしてくれるんだ。俺たちは箸を持たなくていいんだ!」感嘆の声が上がりました。

やがてドアが開き、ゾロゾロとキーセンが入ってきました。
成程若い女性ばかり、そして日本なら直ぐにでもテレビに出演できそうな美人ばかり(韓国は顔の整形が良く行われるとは、この時は知りませんでした。)、心はもうウキウキと弾みます。
私の左隣にもやって来ました。

肩までの髪(この時代茶髪などありません、みんな美しい黒髪でした。)、二重瞼で小顔、今で言うタレントの「ユンソナ」を少し大きくした感じの私好みの女性でした。

「コンバンワ、良くいらっしゃいました、パクといいます、ヨロシクネ」
と自己紹介、言葉のイントネーションは多少おかしいですが、完璧に近い日本語です。
安心しました。

「それでは乾杯ね」
と言ってビールで乾杯、
「食べたいものを言ってネ」
「焼肉が欲しいね」

パク嬢は直ぐに肉をコンロで炙り私の口に持って来ました(熱いためパク嬢が火傷防止のためフウフウと冷ましてくれました)。
それを口に入れビールを指差すと、ビールのコップを口に持ってきて飲ませてくれます。
もうあちこちのテーブルで皆そんな状態、こちらは欲しいものが有ると指を刺すだけ、もう天国です。

やがてパク嬢は私の肩に寄りかかってきました。
「ホテルへ行くのOK?」
思わぬ言葉です。

つまりアッチの方もOKとの事、(だからホテルの部屋が1人1部屋で、ダブルベットなのか)理解できました。

添乗員に話をすると
「構いませんよ、ショートで1万円、オールナイトは3万円を彼女に渡してください。」(当時の韓国はまだ産業が発達しておらず、観光で外貨を稼いでいたのです。その後ソウルオリンピックが開催される事になり、キーセンパーティーは政府から廃止の命令が出て、現在はありません。ですから女性の主な仕事には売春もあったのです。)

好みの女性でしたので勿論
「ホテルOKだよ」
と返事をすると、パク嬢は喜び目を瞑り私に顔を預けました。

「キスOK?」
と尋ねると
「コクン」
と頷いたので、辺りを憚ることなくソフトキス、周りも話がまとまった組はやはりキスをしたり、バストを揉んだりしている者もおりました。

善は急げとばかりに宴会を中座し、パク嬢と一緒にホテルに戻りました。
シャワーを浴びるため浴室に入りシャワーを浴びていると扉が開き、何とパク嬢が全裸で入ってきて後ろから私を抱きしめました。

若かった私はその行為でもうムスコがビンビンに立ち、後ろを振り返りパク嬢を抱きしめキスの攻撃を開始、パク嬢の唇を貪り、舌をパク嬢の口中に入れるとパク嬢も舌を入れ返してきます。
激しいキスの応酬です。

そしてバストを触ります。
掌に入る丁度良い大きさで小さな乳首が掌にコツンと感じます。
もう乳首は固くなりはじめており、最初は左の乳首を口に含み愛撫を始めます。
次は右の乳首、左右の乳首を代わる代わる口に含み愛撫し、尚且つ乳首を吸います。
「オォ~!オォ~!」

朝鮮語のため意味は分かりませんが、「気持ちイイ」とでも言っているのでしょうか、口から呻き声を出しますが、その声の色っぽい呻き声。
ムスコはますますイキリ立ち挿入OKの状態、浴室の床に横たえヴァギナにペニスをあて、前進します。

ズボッとペニスが吸い込まれペニス全体が温かくなりました。
愛液が溢れていたのでしょう、ピストン運動は直ぐに終了、気持ちが良くて直ぐに発射の時がやって来ました。

ドックン、ドックン、ドックン、ドックンと何度も何度も搾り出し、パク嬢の子宮目がけて濃い精子を降り注ぎました。
美貌でしかも好みの顔をしているパク嬢であったため、いつもより一層多くの精液が発射されたように思いました。
暫くは動く事はできません。

その内パク嬢が私の肩を叩き、やっと我に返る始末、1回戦は浴室内で終了し、2回戦に向かいました。

2回戦はベットの中、勿論バストへの愛撫から始まり、クリトリスへの愛撫も抜かりなくしてあげると、膣口からは大量の愛液が湧き出し、直ちにペニスを挿入、先程と同じく温かくて気持ちの良い膣内、すでに1度発射しているので今度は発射まで少し時間がかかります。

その内にパク嬢が昇天し、下から私をきつく抱きしめるため運動は一時中断、「ハァハァ」と荒い息遣い、やがて目を開け私を見るとニッコリと微笑みます。

その可愛らしい顔を見ながらピストン運動を再開、やがてパク嬢は目を閉じ口を半開きにし、額に皺を寄せ呻き声を挙げ始めます。

その善がり顔がまた何とも言えない可愛らしい顔、そして魅力ある呻き声、こちらの性感も高ぶり再びドックン、ドックン、ドックンと発射、先程と同様精子は子宮目がけて送り込まれました。

事が終了し、2人は暫く動けませんでしたが、やがてパク嬢が起き上がり、洗面所のタオルを持ってきて私の愛液に濡れたムスコを、温かいタオルで綺麗に拭いてくれました。

彼女の股間を見ると、私の放出した白い精液が膣口より流れ出ておりましたが、それには気にせず先ず男性の方の後処理、それが終わって初めて自分の股間の後始末を行う、昔の男を立てる行為がまだ韓国に残っており、感激です。

翌朝パク嬢が先に目覚め、私のムスコを弄んでおり私も眼が醒めました。
もうムスコはギンギンに立っており、すぐさまパク嬢の膣口目がけて侵入、愛撫がなかったため愛液が滲み出ておらず、スムースな侵入は無理でしたが、何回かピストンをしているうちに愛液は滲み出て、その内に運動は滑らかになり発射の態勢、再びドックン、ドックン、ドックンと昨夜に負けないほどの大量の精子の放出、パク嬢の子宮にはどれだけの私の精液が注がれたのでしょう。

その日(2日め)も終日パク嬢と一緒、友人も好みのキーセンをゲットし、私と同様2日めもその彼女と同行のため、結局この日は4人でソウル市内を観光、その夜もパク嬢とベットを共にしSEX三昧。

3日目の午前10時、別れの時がやって来ました。
我々は帰国のためソウルの金浦空港へ、彼女たちも見送りでやって来ました。
搭乗までの時間私とパク嬢はターミナルの人気の無いところで抱き合い、そして唇を奪い合う激しいハードキスをしておりました。

パク嬢の口紅はすっかり落ち、逆に私の唇はパク嬢の口紅がビッシリと付き、キスが終わるとパク嬢がテッシュで丁寧に拭いてくれました。

やがて搭乗時間となり、握手をする頃パク嬢の目から涙が零れ落ち、それを見て私も泣きそうになり
「See you agein good bye.」
大声でそう言って飛行機に向かいました。

あんなに沢山精子を直接「中出し」しましたが、「妊娠」の兆候もなかったみたいです。
日本で言う「ピル」のような薬でも常用しているのでしょう。

その後3回ばかり韓国を訪ね、キーセンパーティーに参加しましたが、あの「パク嬢」にはとうとう会うことはありませんでした。

今でも時々「もし結婚でもしていたら」などと不謹慎な事を想像いたします。

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