母のおしりたたき(女性誌インタビュー・抜粋)
2020/04/21
小学生の頃の私には…誰にも言えない秘密がありました。
それは、毎日…母からおしりをたたかれていたということ。
1年生から6年生まで、毎日…ずっとです。
学校では普通にしているけれど、下校の時間が近付くにつれ…頭の中はそのことでいっぱいでした。
あ…虐待とか、そういうのじゃないです。
ただ私が…自分の意志で約束を守らなかっただけで。
学校では普通なんです。
授業は受けるし、給食も食べるし、友達ともお喋りするし。
でも…宿題だけはどうしてもダメで。
筋金入りの面倒くさがりなんです、昔から。
それこそ幼稚園とか保育園とか…もっと前なのかもしれないですけど。
とにかく…自分の時間を「やりたくないこと」に取られるのが嫌だった。
幼稚園までなら、何だかんだで許されちゃいますよね?…そうです、宿題が出始めると、やっぱり母も許してくれなくって。
1年生の宿題なんて、簡単なんですよ。
国語の教科書をちょっとだけ声に出して読むとか、見た瞬間にでも答えがわかっちゃうような暗算だとか。
全部やっても5分かからなかったと思います。
でも私は…自分の5分間を宿題に、ってことがどうしてもできなくて。
毎日、忘れて学校に行くんです。
さすがに先生も連絡帳に書きますよね?そうすると母はそれを見て、おしりをたたくんです。
1年生は午後の授業がなかったので…まだお昼すぎですよね。
友達とも遊びたいし…だから嫌だって泣くんですけど、母もなかなか許してくれなくって。
気付いたら夕方になっちゃってて…あぁ、遊ぶ時間なくなっちゃったー…って、がっかりして。
そのとき…母と約束したんです。
宿題をしなかった日は必ずおしりをたたかれる。
たたかれるけど…それさえ終わったら、お説教とかはなし。
いけないことに罰を与えたい母と、早く解放されたい私の利害が一致したっていうか…。
とにかく、そういう風に決まったんです。
どれくらいたたくとかは全部母の自由になっちゃったんで、対等な条件ではないですけど。
体もだんだん大きくなりますから、そこは仕方ないですよね…。
小学1年生と同じようにして5年生や6年生のおしりをたたいても、痛くもかゆくもなさそうですし。
だから…最初は痛くなかったんですよ。
平気だったんです。
母も子供だと思ってますから、かなり手加減してくれてて…。
20回くらいですかね?ペチ、ペチ、ペチ……って。
初めてのときはそんなもんでした。
痛くはなかったですよ、全然。
ほんのりピンク色になってたんで…母も効いたと勘違いしたんでしょうね。
私はそれで味をしめたんです。
この罰さえ受ければ宿題をしなくていいと。
当時の私にとっては…バラ色の学校生活の始まりでしたよ。
唯一の天敵だった宿題を、しなくてよくなったわけですから。
1時間目から4時間目まで授業を受けて、給食食べて、掃除をして…帰ったら母におしりをたたかれる。
終わったら遊びに行って…みたいな。
完璧に、1日何をするかのスケジュールに組み込んでました。
ただ…そうなると私は、やっぱり調子に乗るんです。
外が暗くなってきても帰らなかったりとか。
怒られても…おしりをたたかれればいいやと思っていたので。
帰ってすぐに、自分から母におしりを出していたんですよね。
母もこれはおかしいと気付くわけです。
そりゃそうですよ。
帰ったらとっちめてやろうと思っていた娘が、顔を見るなりおしりを向けて「ご飯まだ?」なんて聞いてくるんですから。
コイツは痛がってないなってわかるでしょう、普通は。
だから…どんどん増えていって。
20回が40回に、40回が60回に。
痛さより時間が長くなることのほうが嫌だったんですけど…。
そうも言ってられなくなったのは、3年生のときですね。
ついに回数とかじゃなくなって、私が本気で「痛がる」まで。
本気で痛がってごめんなさいが言えるまで、と決められてしまったんです。
そりゃあ…まずいですよ。
私の生活スケジュールがめちゃくちゃになるかもしれないんですから。
何がまずいって?だって、母のおしりたたきって本当に痛くなかったんですよ。
3年生の私なら…100回くらいだったらたたかれてる最中に寝られるぐらい。
それくらい余裕だったから、このときはそれが問題だったんです。
痛そうな演技をするにしてもですよ?今まで文句ひとつ言わずにたたかれていたのに、「痛がるまでたたく」のを決めた日から突然「痛い、痛い」なんて言い出したら…。
さすがに母も信用しないでしょう。
だって…、1年生からずっとなんですよ?たたかれるのが当たり前で、毎日そうしてきたんです。
このままだと…毎日、下手をすれば何時間もかけてたたかれることになってしまうことは明らかでした。
そこで私は、母にある提案をしたんです。
今のままでは痛くないから、もっと強く…思いきりたたいてほしい、と。
母は怒っていました。
当然ですね、それまでずっと騙していたんですから…。
でも私にも譲れないことはあります。
罰の時間を短くする。
そのためだけに…ずっと隠しておくはずだったことを告白したんですから。
それ以上、嘘をつくつもりはありませんでした。
そして始まったのは、母による、どれくらいなら本当に痛いのかの確認です。
ビチッ!痛くない。
バチンッ!そんなに痛くない。
バチィーン!痛い…けど、我慢できないほどじゃない…。
ぜんぶ正直に答えました。
母は呆れていましたが…慎重に選んでくれました。
私が怪我をしない範囲で…最も痛いと感じる強さがどれくらいかを。
…そして始まったんです。
私が、母におしりをたたかれて本気で泣くことになる生活が…。
まぁ…おかしいですよね。
だって、母は私が1年生のときからそうしてきているつもりだったんですから。
その前の日だって、100何回はたたかれてるわけですよ。
それだけたたかれて全然痛くなかったなんて、想像もしてなかったんじゃないですか?そんな子がいるなんて。
いつか懲りるだろうと思っていたはずですよね。
母としては…裏切られた気持ちだったんじゃないでしょうか。
だからかもしれません。
3年生のその日から、母のおしりたたきは本当に痛かった。
…痛くなった、と言うべきですかね?とにかく…痛くて、つらい時間になっちゃったんですけど…。
それでも私は宿題をしなかった。
いいえ…意地になってた、とかではないと思うんです。
宿題をやろうという発想がまず浮かばなかった、というか。
帰っておしりをたたかれるまでが、当たり前になってたんですね…自分の中で。
そうするとね…たたかれない日は逆に落ちつかなくなるんですよ。
休みの日は、そういうものだと割りきってましたけど。
変な言い回しになっちゃいますけど…、どうしてもたたいてもらえない日ってあるじゃないですか。
母が出かけてて、家にはいないとわかってる日とか。
普通は、怒られなくてラッキーとか思うんでしょうけど…。
母の場合、じゃあ今日はたたかない…なんてことはありませんでしたから。
帰ってきたらたたかれるとわかってるのに、それまでたたいてもらえない。
これ地味につらいんですよ。
ずっとモヤモヤしたまま過ごさなきゃならないっていうか…。
それに、泣いた後ってわかるじゃないですか?父の前ではおしりを出したりできないので、いつも帰ってくる前にたたいてくれたんですけど…。
母が出かけてて始まるのが遅くなったりすると、ギリギリなんですよね。
泣いた直後に、その顔で一緒に晩ご飯を食べなきゃいけない。
たたかれたのが夕方ならまだいいですけど…さっきまで泣いてたとしたら1発でわかるじゃないですか?それだけは本当に嫌でしたね。
父は何も聞いてこなかったです。
後で母に聞いてたんでしょうけど、それを想像するとたまらなく恥ずかしかった。
…これは年にそう何度もあることじゃないですけどね。
珍しいことなのに今でも忘れられない、嫌な記憶です。
5年生や6年生になると、隠し通すのが大変でした。
家で毎日、母におしりをたたかれているなんて。
学校でも「宿題をやらない」ことでは有名だったんですが。
いつも明るく、先生まで何となく怒られないようにしてごまかしきってしまう子が。
まさか家に着くなり毎日パンツを下ろして、おしりをビッシビッシたたかれているなんて、誰も想像しないでしょう。
想像しないから、普通にしていればばれない。
そうなんです…普通にしていればと考えてしまったのがいけなかった。
友達とお喋りしていても、親が話題に出た途端に喋れなくなったり。
身体測定のたびに、おしりにまだたたかれたあとが残ってるんじゃないかとか、勝手に思っちゃったり…。
そこは幸い、そんなことは全然なかったんですけどね。
母にたたかれるのは、学校から帰ってすぐでしたから。
遅くなった日でも…さすがに1晩寝ればおしりも元通りですよ。
そこまでのことは、母もしなかったですから…。
寝るときになって、まだおしりがピリピリしてることはありましたけどね。