外資系のパリ支社に勤務してた時にJSとセックスした萌え体験
2018/04/09
外資系のとある会社に入社して一年目、
私はパリ支社の末席に席を置くことになった。
フランスのデザイン事務所と
日本企業をコーディネイトするのが主な仕事である。
仕事は忙しかったが、
フランスは当時から週休2日と
有給90日の完全消化が徹底していたため、
日本からの緊急連絡待ち以外の日は、
9時-5時の仕事さえしていればなんの問題もなかった。
最初の半年ぐらいは引継などでバタバタしたが、
半年もたつと完全にフレンチナイズされ、
日本人である私は、ヒマを持て余すようになっていた。
そんなヒマな時間を持て余しはじめた頃、
私は上司であるカトリーヌ(女性)の家に招かれた。
部屋の模様替えの完成記念パーティーということだった。
仕事仲間数名と共に、
私はブーケ(花束)とガトー(ケーキ)を手みやげに、彼女のアパートを訪ねた。
私たちの会社はスイス系の企業なので、給料がやけにいい。
フランス企業との格差は約2.5倍。
新卒の私ですら、年収850万円ぐらいはあったと記憶している
(それから大してアップしてないぞ?)
このため、彼女のアパートはヌイーという高級住宅地にあり、
8LDKという間取りだった。
彼女は46才、数年前に離婚し、
娘2人と彼女の愛人?(あとから知ることになるのだ
が彼はゲイだった)とファム・ド・メナージュと呼ばれる
ポルトガル人のお手伝いさんと暮らしていた。
彼女の娘との最初の出逢いはそこだった。
姉が12才になったばかりのソフィー、
妹が9才のミレイユである。
カトリーヌご自慢の2人だった。
(ソフィーという名はフランスではスタンダードな名前だ、クラスに必ず3人はいる)
「彼女たちは子供服のモデルもしているのよ」と言って紹介された。
柔らかな栗色の巻き毛に、グレーの瞳、透き通るように白い肌の色が印象的だ。
フランス人は白人と言われいるが日本人とそんなに変わらない、どちらかといえば
日本人の方が色白である。
これホント。
まぁそんなことどうでもいいのだが、
お世辞抜きでとてもかわいい姉妹だった。
私は取り留めのないあいさつをかわしただけで、
別段彼女たちを気にすることもなく
パーティー恒例の雑談を仕事仲間たちとしていた。
午後4時を過ぎ、パーティーもそろそろお開きといった頃、
カトリーヌがアコースティックギターを持って来た。
シャンソンを爪弾きエンディングでチャンチャンと言ったところなのだろう。
彼女の演奏はあまり上手ではなかったが、
その場を盛り上げるには充分なモノだった。
だが、この後がちょっと問題だった。
ギターを持ったカトリーヌが私に少し意地悪そうに
「ギター弾ける?」って尋ねたのだ。
私は一瞬躊躇したが
「その場にいるただ一人に日本人」としては、
「弾けない」とは言いづらかったので「少々」と曖昧に応えた。
するとカトリーヌは「じゃ弾いてみて」とギターを私に手渡した。
私は、学生時代にフォークギターをときどき弾いてはいたが、
それ以来ギターなんて
手にしたこともなかったのだ。
成りゆきではあったが、
学生時代に弾いたビートルズの「ミッシェル」の弾き語りしたのである。
たいしてうまくはないけれどそれなりの出来だった。
これがうけた。
「ミッシェル」は英語の分からない仏人女性への想いを
英青年が語るラブソングである。
カトリーヌはちょっとごきげん斜めであったが、
ソフィーは最後まで拍手をしてくれ、
「もう一度弾いて」とアンコールを催促してくれた。
私は少しいい気になって
佐野元春の「ちょうど、波のようにさよならがきました~」
なんてのを日本語で弾き語った。
これもうけた。
うれしいことにソフィーがいたく気に入ってくれた。
妹のミレイユは最後までケーキを食べていた。
パーティーはお開きになり、その日は何事もなく帰った。
それから2・3週間した後だったろうか。
週末、社の仲間とブローニュの近くにあるテニスコートで
テニスを楽しんでいた。
と言っても、
社の同僚たちはバックハンドもあまりおぼつかず、
サーブと言えば羽子板サーブで決してうまいとは言えなかった。
いやとても下手だった。
私はテニスサークルレベルではあるが一応テニスができので、
下手な同僚を後目に学生風の連中と試合をしていた。
そんなとき誰かが私の名前を呼んで
応援してくれている。
声の方をふと振り向くとベンチにソフィーがいた。
カトリーヌから聞いたのだろうか、偶然なのだろうか。
ちょっとびっくりした。
残念ながら試合には負けたが
(正直なところソフィーが気になって試合なんてどうでもよかった)、
私はソフィーのところに座り「どうしてここにいるの?」って尋ねた。
「ママも来てるかと思って・・・」ってことだった。
「そうかカトリーヌも来る予定だったんだけど、
途中で知り合いに会って来れなくなったんだよ」と
応えると、彼女は少し照れながら
「いいのよ、あなたに逢えたんだから」と言ってくれた。
彼女なりの告白だったのかもしれない。
だがその時の私は社交辞令的に彼女の言葉を受けとめ、
「ありがとね」って返しただけだった。
まさか1回しか逢ったことのないフランス人の少女が
私に好意をもっているなんて想像すらつかなかったからだ。
たしかにタイの貧民地域という特殊な地域での経験はあったが、ここはパリである。
おまけに誰が見たって美少女なのだ。
一般的な日本人である私に好意を抱くなんて
想像すらつかないのが当然である。
ソフィーが「のど乾いてない?、ねぇなにか飲まない?」って誘ってくれた。
私は「そうだなコカでも飲もうか?
(フランスではコーラのことをコカと言う)」
「わたしはコーヒーが飲みたいわ、
だってママが絶対飲ませてくれないんだもの」
フランスのコーヒーはいわゆるエスプレッソで、
子供が飲むようなシロモノではない。
また、キャフェと呼ばれる喫茶店も、
子供だけでの入店は社会通念として禁止行為だし、
保護者同伴でも子供にエスプレッソを決して出したりしないのが普通である。
「ねぇ私もキャフェに入れるかしら?」とソフィーが尋ねる
「僕と一緒だったら、たぶん大丈夫だろ。でもエスプレッソは出してくれないかもね」
「大丈夫だわ、だってあなたが注文するんだもの、コーヒーとコカってね、
ギャルソン(ウェイター)は
当然、コカが私でコーヒーがあなただって思うもの、注文が来たら
あなたがコカを飲んで、わたしがコーヒーを飲むのよ、こんな感じて」と言いながら
彼女はひざを組んだ、
そのときチラッと濃いブルーのパンツが、短めのスカートからえた。
私は同僚に「おーい、ソフィーとそこのキャフェでお茶してくるから」と声をかけ、
筋向かいのキャフェに入った。
作戦はソフィーの言ったとおり大成功。
彼女は念願の苦いコーヒーを飲むことができた。
私はコーラのゲップを鼻からだしながら
「どうだい?」って彼女に聞いてみる。
彼女は角砂糖を3つも入れて「おいしいわ」と言っていた。
私は「去年のバカンスは?」と尋ねた。
フランス人との会話はまず「バカンス」だ。
彼女は「ママと一緒に、ポルトガルに行ったのよ。だけど、わたしはつまんなかった。だって言葉はわかんないし、友達もいないし、ミレイユ(妹)の体調が悪くてホテルからあまり遠いところにも行けなかったのよ」
ってことだった。
「今年のバカンスは?」って尋ねると
「今年はバカンスにいかない、ミレイユは別れたパパとバカンスに行くそうよ。わたしはパパが大嫌いだから行かないの。でもママはお仕事を兼ねて南アメリカに行くって言ってたわ。わたしはお手伝いさんとパリに残ることにしているの」
私は「ふーん」ってあしらうように応えると「あなたは?」って聞き返された
「どこに行く予定もないよ、パリ近郊の観光でもしようって思ってるんだ」
「ねぇ、今年のバカンスはウチに遊びにこない?そしてわたしにギターも教えてよ」と
無邪気に話してくれた。
私が「そうだなぁそんなバカンスもいいかもね」
なんて言うと、彼女は小踊りをして喜んだ。
「約束しましょ」って言っている。
「まだ決めたわけじゃないからね」と言うと
淋しそうな顔をして「つまんなーい」って言い出した。
私は「OKOKいいよ、そうしよう」と日本の
「ゆびきりゲンマン」を彼女に説明し約束をした。
彼女は薄いピンクのマニキュアをしていた。
それから、月に一度か二度、不定期に彼女と顔を会わせるようになった。
彼女からときどき会社に電話がかかってきて「明日、買い物につきあって」なんて
言われたものだった。
彼女の買い物はほとんどが「文房具」だった。
フランスでは子供社会と、大人社会が分かれている。
決して子供だけで「大人のお店(専門店やデパート)」で買い物をしないし、
レストランにも子供を連れて入ることはまず無い。
子供が行ける場所はお菓子屋さんと
ファーストフードのお店ぐらいと相場が決まっている。
彼女にとって私は好都合な大人であったのだ。
そんな不思議な関係が4ヶ月ぐらい続いただろうか「約束のバカンス」がやってきた。
上司であるカトリーヌに「バカンスはどうするの?」って尋ねられた。
当然、彼女も自分の娘が私になついていることを知っている。
「私は遠出はしません、