つきあっていたセフレは躁鬱病

2020/10/27

30歳の頃つきあっていた女は結構背がたかくて顔はごくふつう脚はそれなりにきれいなぜかロングスカートをいつも着ていた。
ある日その女が「わたし躁鬱なの」とある日ささやいた。
僕はどんな病気かしらず普通に接していた。
ある日二人とも残業があり結構夜遅くまで2人で食事したもちろんアルコールも入っていた。
そのためか彼女の肌はピンク色になり色気を感じた。
誘われるままに彼女のアパートに初めて行き畳の上に座った。
しばらくすると暖かいお茶がだされた。
飲み干すとどちらからともわからずキスしていた。
それがつきあいの始まりだ。
気がついたらいつの間にか隣の部屋にうつり2人とも裸になっていた。
裸体になると思い切り身体中をなめ回した。
どこをさわっても性感帯らしく反応は良かった。
もうこうなったら居直ってペニスをあそこに入れると中はぐちょぐちょに濡れていた。
俺のペニスでも届くくらいポルチオが浅い。
ペニスで彼女のポルチオを突き倒しているとうめき声は一段と大きくなり俺の名前を連呼するではないか!!あまりにも気持ちいいので中だしした。
深夜だったので翌朝まで女の部屋で寝て翌朝逃げるように退室した。
その後昼間にあうとあのセックスは単なる事故と言い始め俺は耳を疑った。
きっとやりまんか何かだろう。
と思った。
でも俺はあの身体と陰部が忘れられないので2日後ずばり誘うとうなずいた。
それでラブホテルに連れ込んだら騒ぎ始めた。
女にとって初めてのラブホテルだったらしい。
以後何回かラブホテルを利用したがいつも素敵なところと喜んださて「寝技」だが毎回毎回うめき声がすごくて俺の方もうれしかった。
脚を思い切り開脚してペニスで奥をつきたおしたこともありまた後背位を好んで要求され後ろから思い切り突き倒した。
また松葉崩しをしてほしいと言われその通りにしてやった。
立位は背が高いだけにペニスは入れやすかった。
そのころある日書店にはいると本棚に躁うつ病の本が置いてあった。
立ち読みすると女は睡眠欲の減少(夜中がタフだったそれ故朝になっても結合していたこともある)多動多弁(おしゃべり)性的逸脱などが書いてあった。
なるほどと思った。
とにかくこの女はどうも躁うつ病の躁状態で性的逸脱の最中だと思った。
とにかく淫売だったで。
昔はどうだったのかを聞くと驚くことに性経験はとても少なく大学時代に処女をすてたらしいが生理の時だったと教えてくれたどうもやりまんではないみたい躁病の性的逸脱で俺との関係をもったみたいだった。
また身体の相性もよかったので俺にのめりこんだんだろう。
一度横浜に行ったときホテルで一睡も睡眠をとらずひたすらセックスに没頭した。
さすがに俺も女のタフ差におどろいた。
またセックスの注文が多かったいちど女からアナルセックスをしようと言われたがアナルそのものがあんまりきれいでなくてその気にならなかった。
ある日仕事場に現れないのでどうしたのかアパートの女の部屋にいきチャイムをならしたしばらくしてパジャマ姿でドアはあけてくれたがすぐに布団にもどりうつ伏せで寝ていた。
いつもならうれしそうにして陰部をなめあったり立位で歓迎してくれるのにどうしたものかと思った。
そのうちこれが鬱状態なのかと思い布団の上で寝ている女のパジャマを脱ぎ取り下着をさげると目の前にはおんなのおまんこがずばりあったのでこれ幸いとバックからペニスをいれた。
不思議におもったのは鬱でも陰部は愛液だらかになると言うことだった無抵抗で腰はふらないがかるくうめき声をだし鬱だけれども心と肉体はちがうのだというのを身をもって教えてくれた。
まるで強姦しているようだった。
そう言うのが1年間で何回かは躁転うつのくりかえしだった。
躁の時は俺の見える前で陰部にオーディコロンをつけてこちらの性欲をそそり独特の性技をみせてくれるので毎回セックスは普通より俺もよく燃えた。
鬱の時はただ布団にうつ伏せで寝ているだけだったパジャマや下着をむしりとるのには何ら抵抗はしなかった。
おそらくそのあとに自分の性を満足させてくれるのを知り尽くしたのだろう。
躁の時も鬱の時もとにかく陰部はよく濡れた。
1年続いたが結局中だししても妊娠せずで経過した。
精神科の薬をのんでいるためだろうか??男に取ってはセフレが妊娠しないというのはありがたく思った。
その後鬱がひどくなり精神病院に入院して会社は辞職願をだしたみたいでいつの間にか会社では見あたらなかった。
その後の行方はわからないが思い出深い女性だとおもった。

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