忌まわしい記憶なのに、一度知った快感が…2の1
2018/09/04
母と私は、ある凄惨な体験により心に傷を負ってカウンセリングを受けています。
幸い、母の症状は殆ど問題無いくらいまで回復出来たようですが。
私は普段、美容師を目指す、ごく普通の女の子として生活出来ていますが、異性と目を合わせたり、触れ合ったり、話し合ったりする事が怖くて仕方がありません。
こんな場で告白するのは変かも知れないけど、未だに回復があまり見られない私に、
『原因となった経緯を、勇気を出して秘密抜きで、思いつく限り詳細に誰かに伝える事が、回復に繋がるかも知れない』
とカウンセリングで言われ、色々手段を考えた結果、このような形で告白する事にしました。
私は何年も前ですが、母と一緒にレイプされました。
私は小学5年生で、当時10歳の頃でした。
母もまだ若く、32歳でした。
私の家庭は母子家庭で、物心ついた頃には離婚した母と2人暮らしでした。
私と母は夏休みに、私の同級生の女の子2人とそれぞれの母親の計6名で、4日間ほど泊まりがけで伊豆に行き、旅館の広い部屋に6人で泊まりました。
私と母は、この時のために買ったお揃いの白いビキニを着て海に出ました。
当時の私のブラやパンティと比べると細くて小さくて恥ずかしかったけど、母も私も体型は痩せている方でしたから、皆から
「2人ともビキニがお似合いね~」
と言われて嬉しかったです。
私は早熟でもなく、まだ胸もほんの少し膨らみ始めた程度でしたが、母は顔が美形の上に、割とメリハリがある体型で、綺麗で格好良くて、私は大人の女性が羨ましかったです。
初日の海水浴だけで、私の白い肌もビキニの跡が目立つように、赤く焼けてました。
そして2日目の夜、私が旅館で初潮を迎えました。
他の友達2人は既に初潮を済ませていて
「おめでとう!」
と喜んでくれました。
翌日、3日目の日。
私達6人は午前中から海で泳いでいたのですが、正午になると、初潮祝いにご馳走してくれると母が言ってくれました。
私と母は一旦皆と離れて、海岸沿いのカフェのようなお洒落なお店でランチを食べました。
海岸のすぐ近くの開放的なお店で、私達はお揃いの水着の上にお揃いの白いキャミを着てましたが、他にも水着姿で食事している人が多かったです。
食事を終えて、お店を出て少し歩いて、大きなアメ車みたいな白いバンの横を通りかけた時でした。
いきなりその車の横のドアが開いて、母と私が車内に引きずり込まれました。
一瞬でした。
口を塞がれながら羽交い締めされて、ドアが閉まるとすぐ車が動き出しました。
車の窓から外を見ると、周りは離れた所を歩いている人が数人見えましたが、拉致に気付いている様子ではありませんでした。
私も母も、両手首と両足首に手錠をかけられて、口はガムテープで塞がれました。
左ハンドルの車を運転している男の他に、助手席に男がいて、その後ろは座席が畳まれているのか平らで広く、私達はそこで転がされました。
その傍らには、私達を車内に引きずり込んだ2人の男がいました。
母は叫びにならない声を出して藻掻いてました。
私は何が起きたのか理解出来ず、パニックになり泣いてました。
母の傍らの男は、母のトートバッグからケータイを出して電源を切ったりしていました。
私の傍らの男は、私を見て
「何だガキじゃないか」
と言いました。
初めは私達を若い女性の2人組だと思っていたのでしょう。
私達はペアルックだったし、顔立ちも似ていたから、すぐ親子だと悟られました。
「見た目が若いけど、大きい娘がいるんだな」
とか
「ガキはやべぇ、どうする?」
とか、車内の4人組の男が話してました。
車はすぐに止まりました。
走ったのが数百メートルか数キロか分からないけど、土地勘が全く無い場所なので、そこがどこなのか、もう分かりません。
その場所は、潰れて廃墟と化したドライブインみたいな建物の駐車場でした。
看板に『どさん子』と書かれてたので、元々ラーメン屋さんだったのかも知れません。
周りは人の気配が無く、私達は手錠をかけられたまま髪の毛を掴まれて、強引に外に降ろされました。
両足も手錠を掛けられていたのでまともに歩く事も出来ず、引きずられて廃墟の中に入りました。
建物の中の、元々事務所だったような、何もない部屋に連れて行かれました。
そこで、口を塞いでいたガムテープを取られました。
男達は、服を全て脱ぎました。
その股間には、拳を握った赤ちゃんの腕みたいな、グロテスクな男性器がありました。
男性器と言っても、私は当時性器という言葉も知りませんでしたが。
「もう誰も来ないから、好きなだけ泣き叫んでいいぞ。全く、2人犯せると思ったら、1人は小学生か?」
と言われると、母は
「娘だけは助けて下さい、私はどうなってもいいから!」
と、泣いて言いました。
私は怖くて、泣いて見ている事しか出来ません。
「私はどうなってもいい?じゃあ奥さん1人で、全員相手してもらうか。終わったら帰してやるから、ガキはそこで見てな」
と1人の男が言って、母の腕に注射しました。
麻薬の一種とか、快感が百倍になるとか言ってました。
他の1人の男が
「お嬢ちゃん、すげえ可愛いじゃん。小学何年生?ガキでもいいから俺、やっちゃおうかな」
と言って近付いて来ました。
私は手錠で拘束されたままでしたが、母は手錠を外されました。
私に近付いた男以外の3人は、母に群がりました。
寝かせられた母のキャミやビキニが脱がされましたが、母は抵抗する気配がありませんでした。
無抵抗だったのは、自己犠牲とか諦めというより、薬の影響だったんだと思います。
母の表情は瞳が虚ろで、明らかに様子が変でした。
ちなみに私は当時、性の知識が皆無でした。
内心興味はあるものの、イヤらしい話は嫌いだし、恥ずかしいし、学校の保健の授業もまだ受けていませんでした。
SEXという言葉も知らなかったくらいです。
男性が女性の裸を好きなのは、何となく分かっていたけど、それにどんな意味があるのか、全く知りませんでした。
1人の男が、母の股間の辺りを触ってました。
そこからの、母の乱れぶりはショックでした。
その男が母の両足を広げて、真っ直ぐに立った男性器を母の股間に付け、母と男の体が密着しました。
男が腰を前後に揺すり始めました。
母は仰向けのまま口を大きく開いて、すぐに
「許して、アア…アアッ」
と悶えました。
男は母に覆い被さり、胸や顔を吸い回しています。
母は喘ぎっぱなしで、顔は真っ赤に紅潮して、抵抗するどころか、男の背中に腕を廻して抱き付いてました。
母は意識が朦朧としているのか、自分が娘である私の目の前で何をされているのか、もう分からなくなっていたみたいでした。
男は母の上で腰を動かしながら
「いい女だ。ガキ産んでる割に、かなり締まる」
とか
「中の摩擦がすげぇよ、気持ち良いよ、良い穴持ってんじゃねえか」
とか
「良い乳した美人ってだけじゃねえ、穴美人だせ」
と言ってました。
そのうち、母は体を反らせて、一際高いトーンで
「アーーッ!アーーッ!」
と叫び声を上げ始めました。
頭のてっぺんが床に着きそうなくらいに身をを捩らせた母の顔は、白く泡立った涎を沢山吹き、瞳は寄り目になってました。
「イクッ!イクッ!イクッ」
と何度も叫び始めたら、寄り目がクルッと白目に変わって、美人の母とは思えないくらい壊れた表情になってました。
男は
「出る出る!」
と言うと、母の両足が絡み付いた腰を止めて、母の上で密着したまま、何度も吐息を発してました。
母から男が離れると、その男の性器から透き通った液が糸のように滴っていて、母はピクッピクッと痙攣しながら、白目を剥きっぱなしでグッタリしてました。
休まる事も無く、別の男が同じように、母と繋がりました。
私は性に対しての知識がほとんど無かったから
「イク」
とか
「出る」
という言葉の意味も、母が具体的に何をされたのか、男達が何をしてるのか、目の前で何が起きてるのか分かりませんでした。
ただ、私は自分のアソコや、少し膨らみかけたばかりの乳首に、キュンッと痛いような痒いような、ジンジンと妙な感覚を感じました。
私の体の性的な部分が、初めて勃起した瞬間でした。