早漏フェチのレズビッチ

2018/02/28

バブルの崩壊直前に建てた豪邸で私は産まれ育った。
日本なのに玄関ホールが15畳、6人暮らしでバスルーム3つ。
アメ車を2台、大型犬を3匹飼っていた。
アホな家だった。
父方の祖母と同居、美人な専業主婦と洒落乙アパレル父。
上っ面だけ見れば非の打ち所のない家だったと思う。
しかし見事なまでに上っ面だけ。
私が物心ついた頃にはすでにその家は両親にとって戦場でしかなかった。
毎晩罵声を聞きつつ、早く離婚すればいいのにって思っていたのは覚えている。
母「一人暮らしもしたことないガキがほざいてんじゃねぇ」
母の一言に父が広いリビングを走り出した。
それと同時に二階に住む祖母が、「やめなさーい!」と駆け下りてくる。
そうしてばあちゃんが羽交い絞めにしたのは、襲いかからんと走る父ではなく母だった。
不恰好なジャンプミドルキックが決まり、母は骨折した。
当時の母は精神も肉体もボロボロだった。
まだ30代だったが更年期障害のような性格だった。
口を開けば父の愚痴、祖母の愚痴。
不眠症のせいか午前中は起きてこなかったので、小学校6年間はひとりでトーストを焼いて学校に行った。
父は私にだけはとかく甘かった。
反面、兄には厳しかった。
兄の誕生日は祖父の命日だからという理由でお祝いなし。
高速道路で無邪気に車の窓から顔を出した兄。
「あぶねーだろ!」と叫んだ父は運転席のボタンで後部座席の窓を閉める。
窓と窓枠に頭を挟まれ泣き叫ぶ兄と、叫ぶ母と、それでも閉めるボタンを押し続けた父。
兄の部屋で喧嘩して、私が飛び出しドアバタン!
別室の父「おい、うるせぇぞ!ふざけんな!!!」
私「ご、ごめんなさい(ガクブル)」
父「あらぁ~○○(私)ちゃんでしたかぁ、ドアしゃんがイタイイタイ言ってましゅよぉ~」
こんな感じ。
大体小学校4年生くらいの時、親のPC雑誌を読んでるとエロいページがあることに気がついた。
ドラゴンボールのブルマのおっぱいに萌えてた自分は、リアル裸に興奮するガキにレベルアップした。
当時まだ自慰行為を知らなかったが興奮して毎月楽しみにしていた。
女ひとりの写真が主だったが、女の隣に裸の男を妄想していた。
その方が興奮するからだが、なぜかは分からずそうしていた。
DNAレベルでビッチなのだろうか?
兄に「セックスはチンポに女がキスする行為」って聞いて、人生の終わりレベルのショックを受けてたレベルの糞ガキだが、やはり基盤レベルでビッチだったのだろう。
当時も男子に、「エス、イー、エックスってなあに?)」とか「ねえねえ、トイレに血がついてたんだけど誰か痔なのかな?」とか聞いて反応を楽しむレベルにビッチだった。
その当時のPC雑誌はゲームとかアプリ的なのとかが入ったCDが付録で付いていた。
ある日、その中にAVのサンプルも入ってる事に気がついた。
女の裸写真からAVへ、格段のレベルアップだ。
セックスがフェラよりえげつないものだということを知ったが、やはり気持ち悪かった。
仰向けの女優のおっぱいが八の字に揺れるのには最高に興奮した。
痴漢を訴えられた男が仕返しに透明人間になる薬を飲み、電車の中で女を裸に剥く。
女が羞恥で「キャー」ていうAVが猛烈にツボだったらしく、これだけ内容を覚えている。
未だにタイトルを知りたい。
そして母にばれた。
所詮小学生、“最近使った項目”の履歴の削除なんて事に気が回るわけがない。
やはり人生の終わりだと思った。
私宛に母が届けてくれたメール。
『見るのは構わないけど、ああいう映像は男の人が喜ぶように脚色されたものです。実際のそれとは大いに違うのでそれだけ把握すること』
小学生には難しすぎます。
そしてその一ヶ月後くらいに、私は母への爆弾を連投することになる。
母と二人で買い物に出かけたドラッグストアで、けろけろけろっぴの箱を見かけた私は手に取った。
赤面した母に取り上げられた。
コンドームだった。
帰り道、母のしどろもどろの指導が入る。
母「ラコステ(飼い犬)のおちんちんがピンクになる時あるでしょ?そういう時に使うやつ」
私「ふーん・・・」
意味はまったく分からなかったが、非常に恥ずかしい事態だということは把握した。
いつか私に娘が出来て同じことがあっても、上手く指導できる気が全くしない。
小学6年生。
ついに私はオナニーを覚える。
ドラクエのレベル上げ中にAボタン連打で暇になった私は、手持ち無沙汰にコントローラで自分の股間を叩いた。
(・・・ん?なんだ・・・これは・・・)
夢中になった。
それからは股間の一部、ちっさい豆が性感帯だという事を知り、枕に擦り付けてみたり色々した。
人差し指で包皮の上からクニクニ、という現在のスタイルがいつ確立されたかは覚えてない。
余談だがこの頃、家具で隔てただけの兄の部屋からよく、100メートル走り抜けた後のような荒い息遣いが聞こえるようになった。
今なら察してあげられるのだが、当時はまだまだ知識不足。
ある日一度だけ、「大丈夫?」と聞いてしまった。
兄「おじいちゃんが・・・乗り移って・・・」
ものすごく心配した。
当然の如く兄と同じ公立に進学しようと思っていたが、ある日、突然母に「受験しなさい」と言われた。
大学まであるお嬢様学校だった。
私は特に何も考えずOKした。
数週間後、喫茶店のような所に母に呼び出され行くと、知らないおっさんがいた。
紹介があるわけでもなく、知らないおっさんに人見知りしながら普通に3人でお茶した。
中学生になると自室に小さいがテレビが貰えたので、毎晩『トゥナイト2』を見ていた。
遅刻常習犯になった。
初潮は中学二年生。
友達が泊まりに来て一緒に風呂に入ろうとキャッキャしている時。
タイミング最悪だ。
血だらけのパンツを仲良くなりたての女友達に見られた。
その子はまだだったらしく、ショックを与えてしまい、なんとなく疎遠になった。
その頃、母がおっさんと逃げて、私は母方の祖父の家に住んでたのでなんとか一人で処理した。
この頃に父がリストラにあった。
母に逃げられ職も失った父は、一度死にかけた。
兄が助けたらしいが私は前述したとおり祖父家に居たのでよく知らない。
とにかく上流から中の下に落ちた。
父と二人取り残された兄もグレた。
ロック少年になった。
掃除する者が居なくなって見る影もなく薄汚れた豪邸に土足で友達を呼び、サッカーゲームしながら酒を飲んで乱交していたらしい。
アメリカン。
ローンに喘いだ父は豪邸を手放して、精神病院の前に家を買った。
家のサイズは10分の1になった。
昼夜問わずドクターコールのような放送が漏れ聞こえてくるその家に私は引っ越した。
入れ違いに兄が母のところへ転がり込んだ。
ほとんど家には居ないようだったが、その頃には私も兄もおっさんと仲良くなっていた、表面上は。
私「夏雄さん(おっさん)、なんかいやだ」
母「ママを取られた気がして妬いてるんでしょwプゲラwww」
諦めた。
ちなみに私は女子校生だった。
女子校と言うのはイケイケグループに属さないと出会いなどあるわけがない。
校門をくぐるとダサい制服を着替える、そんなグループに属せる気がしなかった。
年がばれそうだが、一時期女子高生が街中で早着替えをするという社会現象があった、あれだ。
彼女らは大体男子校の文化祭とかで出会い、小学校時代の友達とかとつるんで垢抜けてた。
お嬢様学校での垢抜けないグループは本当に芋くさいのだ。
茶髪だめ、ハイソックスだめ、カーディガンだめ、スクールバックだめ、化粧だめ。
お嬢様学校の清純深窓の美少女は虹の世界、おつ。
一度彼女らの気まぐれで合コン(笑)に参加した。
普通のファーストフードで初めましてするだけ。
初めて神経性の腹痛を経験し頓挫した。
芋たちに出会いなんてあるはずなかった。
特に私の場合は地元も離れてしまったので尚更だった。
ありがちだが、先輩に淡い恋心を抱いた。
女子校にはガチレズも多数いたが、私は文通をしただけだった。
その先輩とは。
中2病をこじらせた私は、高校時代hydeのような髪形をしていた。
今思えば顔から火を吹くほどキモイが、当時は色白で細く貧乳だったため、顔が残念でもまぁモテた。
もちろん同性に。
バレンタインにいただいたチョコの数ではおまいらに負ける気がしない。
ある日、クラスの美少女に放課後押し倒された。
スマートに体を起こし肩を抱き、「私ではあなたを幸せにすることができない」とキメた。
泣かれた。
マジオスカルwww
かく言う私も結局はレズへと成長した。
私のビッチヒストリーはレズから始まる。
もちろん女子校ならではの幻想レズだ。
私より背の低いノンケ女子の聡子に恋をした。
皆には明るく笑顔で接してるけど、誰にも話せない闇の部分を私が支えて癒したい、とか考えてた。
中2病全開www
毎日メールし、毎日遊んで、まずは親友感を植え付け、好き好き言いまくった。
徐々に感覚を麻痺させて、最終的に、「好き」
「私の方が好き」のやりとりが当たり前にまでなった。
そっからは早い。
私「好き」
聡子「私の方が好き」
私「じゃあ付き合う?」
聡子「う、うん」
テラ策士www
手を繋ぎ、言葉だけでいちゃいちゃする仲だったが、不思議なもので幻想レズでも性欲は湧いた。
さすが人間の発情期、高校生。
裸の…

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