新聞広告のモデル
2020/02/19
私は6才から10才まで衣料の新聞広告のモデルをしてました。
下着や靴下時には水着とかカジュアルまで色々でした。
私がモデルになった切っ掛けは母親が何かのモデルオーディションに応募して私と数人の男女が選ばれ私は主に関東の広告チラシに掲載されてました。
最初のお仕事は6才で新一年生の入学式に着る衣装などランドセルを身に着けての写真撮影など、毎週日曜日がお仕事と言うか撮影日でした。
撮影の日はカメラマンのおじさんやメイクさん衣装さんとスタッフは8人で構成され私は何時も可愛いと囃し立てられ得意になってモデルをしてました。
私は当時ジュニアモデルで人気も有ってデパートや色々な仕事が沢山入って夏休みなどは沖縄まで行っての撮影までしてました。
撮影が多くなると母親は次第に生活が派手になり父親との喧嘩が絶えなくなり、両親は離婚しました。
母に引き取られた私は小学校の勉強よりモデルの仕事でスタジオから野外へと出てのハードな撮影の毎日だったのです。
私が9才になった夏から嫌な撮影が始まりました。
何時もは撮影スタジオには母と行ったのですが、その日はカメラマンのおじさんが迎えに来て自動車でホテルに入り撮影が始まりました。
沢山の水着やパンツを着替えては「優ちゃん可愛いょそこ足開いて」可愛いの連発で私はカメラマンのおじさんの言うなりにポーズをとるとシャッターボタンの音が「カシャッカシャッ」撮影場所は日を変えてホテルや野外では海・川・渓谷などで衣服を一枚ずつ脱いではシャッターの音、パンツ一枚の姿でブリッジしては「カシャッ」私は以前とは違う撮影に「おじさんこの写真は何処の広告に使うの」
「優ちゃんこの写真は写真雑誌になって子供の女の子好きな人が買って見るんだよギャラも沢山もらえてお母さんも喜ぶからね」数字後に撮影も終わり自宅に送ってくれた自動車の中で封筒に入れられたギャラを貰うと封筒は分厚く大金が入って様でしたが、私は母親にそのままわたしお小遣いとして1万円を貰ったのです。
その日の母親は上機嫌で外食したり欲しい衣類や色々と買ってくれました。
「優子お前のおかげで生活も楽でお母さんは有りがたいよこれからもカメラマンの言うことを聞いて頑張ってね」私も普段は衣料のモデルでしたが影では裏のモデルとも言われ9才の後半から10才になった頃にはビデオ撮影になって行きました。
山の中の撮影ではワンピース姿の普通の女の子で山道を歩きしゃがんでパンツを撮影そして放尿シーンを撮影され更にしゃがんだまま自分でアソコを大きく開いてみせたり、パンツ一枚で歩いたり全裸になって木登りしてポーズしながらアソコを開いたり触ったりの繰り返しでした。
私は大人の男の人が私を見て気持ちが良くなると聞いて意味も理解しないままホテルや野外での撮影は続きました。
10才の後半に撮影場所に珍しく母親が来て「優子今日は変わった撮影だからカメラマンのおじさんの言うことを聞いて何でもするんだよ良いね」私は何時もの様に普通の衣服を脱いでパンツ一枚でベットの上をゴロゴロしたり全裸になって寝ころんんだり、ブリッジしてアソコを自分で開いたりして撮影が続き水着を着ての撮影はスクール水着やビキニなどいやらしいのはハイレグ水着をアソコに食い込ませるシーンなどが続きました。
その日の撮影で母親は沢山ギャラを貰ったらしく上機嫌で私も母親を見てると嬉しくなって現在で言う児童ポルノの撮影をされていたのです。
その後のビデオ撮影で私は自分の身が壊されると思ったのです。
その日の撮影は田舎の旅館に泊って露天風呂の入浴撮影から始まり浴衣姿で夕食を食べ終わると、カメラマンのおじさんが今日の撮影は和室の布団の上で撮ると言われ男優さんが私を相手にするから黙って寝た振りをしてれば良いと言われ私は浴衣を脱いで白いシーツの布団に寝て、男優さんを待ちました。
ビデオカメラの録画のサインの赤いランプが点灯して録画が開始されました。
毛布と掛け布団で頭を枕に置いて私は両目を閉じて暫くすると、トランクスにティーシャツ姿の父親くらいのおじさんが入って来て布団の横に座り足元から毛布と掛け布団が胸元まで捲くられパンツ姿の私が撮影されていくのが近くに置いたモニターテレビに映しだされると、やがておじさんの手が私のお腹を撫でる様に触り手は次第に下半身に移動してパンツの上から私のアソコを触り始めたのです。
私は生まれて初めてのことなのでこれから何が始まるのか不安の中でおじさんの手がパンツに入り割れ目の上の膨らみを撫でて少しすると割れ目全体を手のひらで包み触りパンツから手が出るとパンツが脱がされ全裸にされると両足を左右に大きく開かれおじさんの手が割れ目を開き突起してるところを指でグリグリし始めて暫く続くと穴の周りにぬるぬるした物が塗られ何かが身体の中に入って来ました。
初めて入れられた異物をおじさんは出し入れした後、遺物が抜かれると今度は玉子を小さくした感じでブーンと音がしてる物を突起してる部分に押し当てグリグリされると眠った振りをしていてもくすぐったい感じや解らない変な感じで下半身が動いてお尻を浮かしていました。
そんな事が続くと「こんな幼い子でも感じて濡れるんだそろそろだな」おじさんはトランクスを脱ぐと父親と違った太くなった物を私のアソコに押し当て割れ目に沿って何度も擦りつけてお腹に白いのを出したのです。
ビデオカメラの録画サインが消えるとカメラマンのおじさんが「優ちゃん頑張ったね良いビデオが出来たよ今後も色々とあるけど頑張ろうね」おじさんが白いヌルヌルをティッシュッで拭いてくれてパンツも元にもどされ私は浴衣を着て眠ったのです。
その後はホテルなどで若い男性や中年の男性にあそこを玩具にされたビデオがシリーズ物で製作されマニアに売られて行ったのでした。
ある日、母親と別れた父親が自宅に来て「お前優子に何をさせているんだ優子は俺が育てる」私はその後は父親と再婚した義母の手で育てられたのでした。
ビデオの発覚は以前に父親の友人が自宅に遊びに来て私を覚えていたらしく友人は少女しゅみでビデオタイトル「少女に夜這い」そのビデオを持てて親に知らせたと聞きました。
母親とカメラマンや男優さんは警察に捕まったと聞きました。
その後、私も警察に色々と撮影の時の事を聞かれたり、病院に入院して性器の治療をうけました。