信頼していた親友に裏切られたトラウマ
2018/03/06
すまん吐き出させてくれ
スペック
大学4年下宿
休学期間あり
現在もほぼ行けてない
大学行けない理由は、パニック障害と、とにかく人が怖い
後で書くが中学の時にいじめられてから人が駄目になった
現在はカウンセリングに通ってるが治る気配も何もない前置きとしてうちは父親がとにかく厳しい
暴力とかはないが、とにかく頭が良くて仕事もエリートで
「何でこんな事も出来ないんだ?」って感じの人間
俺には兄貴が居るけど兄貴も父の背中を見て育ったエリート
だから中学からは勉強の事ですごく怒られた
学年400人ぐらいで20番以内には入らないと娯楽没収
学年トップとっても褒めてもらえない
だから俺は中学ぐらいから、父親に認めてもらうのに必死だった
それは今でも変わってないし心にこびり付いてると思う
母親は世間知らずの専業主婦だけど、父親や兄貴を見て
俺の事も頭が良くて将来安泰だと信じて育ててたと思うそういう事もあって、中学の時から俺は常に家で緊張してた
親の期待に応えられるようにとか、父親に幻滅されないようにとか
とにかく家族の顔に泥は塗らないようにしようって中学入ってからは勉強に必死だったけど、俺は部活もしたかったから
幼稚園の頃からの幼馴染に誘われて美術部に入った
物心付いた頃から絵を描くのが好きだったし
何より部活選び迷ってた時に誘ってくれたのが嬉しかったその幼馴染っていうのが、家もすげー近くて
小学校の時は放課後決まってそいつん家行ってゲームしたり、
公園行って遊んだりとにかく一番遊んだ奴だって記憶が強い
中学は勉強面以外はまぁ楽しかった
クラスの奴とも仲良くなれたし、部活も有意義で
このまま順調に行けばいいなーなんて呑気に考えてた
ただ、あれ?って思い始めたのが、それから部活は思ってたより部員が多くて賑やかで、
その中でもまぁ気の合う仲間数人で固まることが多くなった
俺は幼馴染と、新しく仲良くなった奴2,3人と居る事が多かった
仲良くなってしばらくしてからかな
幼馴染の言葉遣いっていうか、態度っていうか
俺に対してキツく接する事が増えてきた気がした幼馴染っていう砕けた間柄だからだろうか
やたらと俺をネタにして笑いを取ったり
キモいだの死ねだの、毎日笑って暴言を吐くようになった
周りはそれ見て爆笑
俺が、え?何??って困ってるの見て更に爆笑
以下それが延々とループするようになった
気付いたら所謂、いじられキャラってポジションに置かれてた俺は最初何が起こってるのか分からなかったよ
幼稚園から仲良かった奴が急に態度変えたんだから
しかも周りはそれが面白くてたまらないみたいだったし
晴れていじられキャラの称号を得た俺は
まぁそいつら、特に幼馴染のサンドバッグ状態だった
毎日暴言吐かれてたまに手も出されて、私物も好き勝手使われた
大事なスケッチブックは暴言の落書きで数ページ埋まった質悪いなと思ったのが
そいつ1対1だと大した事して来ないのな
それどころか真面目な顔して、悩み事聞いて欲しいお前ぐらいにしか
相談出来ないだの昔から仲良しだった幼馴染の顔しか見せなかった
だからだろうな、俺の頭完全におかしくなってたと思う
そいつの事何されたって親友だって疑わなかったんだ家庭とか勉強の事でストレス溜まっててたのもあって
せめて学校の人間関係ではいざこざ起こしたくなかったんだ
ましてや幼稚園からずーっと遊んできた幼馴染の親友だよ
縁を切ろうなんて考えこれっぽっちも浮かばなかった幼馴染の態度は日に日に酷くなってったよ
俺が我慢できなくて、流石にやめてくれよ!!って反抗した時は
すげー冷たい顔して「は?何逆ギレしてんの?キモいんだけど」で終わり
最初は何度も反抗してた俺もだんだん限界感じてきて
反抗すればするほど俺がグループ内で悪者にされるだけだったし
もうどうとでもなれって受け入れるようになった
辛さとか痛みとか怒りとか
だんだん麻痺してきてたと思うそんな日が中学では毎日続いた
テストで良い点取った日にはそいつらそれをネタに俺の事殴ったよ
こっちは家での事があるから必死に勉強してんのに
ちなみに後々他の部員の奴らに聞いたけど
俺がグループ内でそんな風に扱われてるなんて誰も知らなかったらしいそういう事がずーっと続くとさ、人間って不思議だよな
何もして来ない人と喋るのも怖くなって来るんだよ
あの仲良かった幼馴染がああなったんだ、どいつもこいつも信じないぞってさ
完全に俺の頭は可笑しくなってたと思う結局中学卒業までそのグループは続いたよ
勿論他にも仲良いやつ居たけどさ
俺その時、この幼馴染に嫌われたら色々終わるって本気で考えてた
高校は幼馴染とは違う高校に進んだ
内心ほっとしたよ。
地獄の毎日は終わるんだって嬉しかった
でも本当の地獄はここから始まった新しい高校生活が始まってしばらくして
俺は自分がおかしい事に気付いた
全然クラスメイトと喋れないんだ
自然な会話っていうか、雑談っていうか
人の顔色ばっか伺ってる自分に気付いた事態は想像より遥かに悪かった
今時キモいとかうざいとか会話の中で平気でみんな使うだろ?
それ聞くとさ、幼馴染の顔が脳裏にぶわって浮かんでさ
急に心臓バクバクして呼吸が苦しくなったり
汗が止まらなくて手が震えたり眩暈がしたり
とにかくこれはヤバイと感じた俺は母親に精神科に連れて行かれた
俺に付いた病名はパニック障害と適応障害だった
とりあえず薬飲みながら様子を見て下さいだと
それでも俺なりに頑張って高校通ったよ
苦しいし人と上手く喋れないしで、とてつもなく苦痛だったけど
父親に何て言われるか分からないから死ぬ気で通ったでも限界だった
高一の夏休み終わって二学期の始業式の日
教室に居たら今までで一番酷い発作に襲われてさ
あー俺死ぬんだなって、あの時は本気で思った
それからパッタリ高校には行けなくなったそれからしばらくの事はあんまり覚えてない
とりあえず母親は泣いてた。
父親は多分幻滅してたよ
俺ってなんて親不孝者なんだろうって自分でも自分に幻滅した
発作に襲われながら毎日布団にくるまって泣いてた気がするそれから半年ぐらい薬飲んで引きこもってたと思う
高校行かないから発作もだいぶマシになってきて、
このままじゃ駄目だと思って
次の年度の4月から通信制高校に編入した
通信はめちゃくちゃ楽だった
他人と接する機会もほとんど無いし、同じような境遇の奴に出会ったりもして
入学してから何事も無く平和な毎日が過ぎていった元々強制されなければ勉強好きな自分に通信は合ってたと思う
県立で学費も安いから、自分のペースで好きな事を好きなだけ勉強出来たし
この頃には父親はもう俺に期待しないようになってたよ
まぁせめて大学行って社会に出てもらえればぐらいで
発作が出ないようになってから、リハビリがてら軽い接客バイト始めたりもした
稼いだ金でその頃大好…