男友達と一線を越えてしまった夜のこと
2018/12/20
昔の話です。名前は仮名です。
晩秋を迎え、肌寒くなっていた頃のこと。その日の夜、いつものように男友達のハルキと馴染みの店で飲んだあと、話をしながら帰っていた。ハルキは以前私が勤めていた職場の同期だった。研修も配属先も一緒の社員は他にもいたけれど、私があの職場を去ってから以後も顔を合わせているのは、今となっては彼を含め2人だけ。
「研修のときにお世話になったヤマダさん覚えてる?春に結婚するんだって」
そう教えられ、私の頭の中にぼんやりと顔が浮かんだ。(結婚していた人じゃなかったっけ?)と思い返したけど、聞くとバツイチらしい。
酔いに任せて「そうなんだ。筒抜けだね。あぁ、でもあんなに太っててハゲててもねー、結婚できる人は何回でも出来るよね」と言った私に、「相変わらず嫌いなんだな」とハルキは笑った。そして、「あまりハゲをバカにしていると自分が痛い目に遭うぞ」と忠告された。
「ハルキくんだってヤマダさんのこと、『人遣いの荒いデブ』って言ってたよね?」
「人遣いの荒いは言ったけど、デブって言ってたのはエミ(私)だよね」と突っ込まれた。
たしかに私はヤマダさんが苦手で、ハルキには愚痴をこぼしたことがある。セクハラの件で部長に相談したこともあった。
・・・結婚か。そんな話を聞いても、私にはちっとも羨ましいとは思えなかった。
私はその8ヶ月前、3年付き合っていた彼氏に振られた。私の中での3年は長く、ダメージは自分で思うよりも大きかった。女としての自分にも自信をなくしていたのだと思う。元カレは別れ際、私に、「結婚したいほど好きな人が出来た」と言った。
(『好きな人が出来た』でいいじゃない・・・)と思った。
しかもその相手は、私の前に付き合っていた元彼女だとまで言うのだから。変なところで正直な人だった。要するに私には結婚したいほどの魅力を感じなかったということだ。それは仕方ないにしても、あっさり復縁するのは、私と並行していた時期もあったのだろうなと思ってしまったりもするわけで。終わり方がそうだったこともあり、元カレとの3年間の思い出がガラガラと崩れてしまう。思い返せば、今まで自分から振ったことなど一度もない。恋愛や結婚のことを考えているだけで気が滅入りそうだった。
その日は、「ペース早くない?」と心配していたハルキをよそに、いつもよりお酒が進んでしまった。人の幸せ話を聞いただけなのに、思い出したくもない元カレの顔を思い出す。ふわふわとした足取りで歩きながら他愛もない話をしていたら、駅近くのレンタルビデオ店が目にとまった。
「ねえ、ビデオ借りてくるね」と横断歩道に向かう。
「先に駅へ行ってて」と伝えるも、ハルキは相変わらずおかしな話をしながら後ろについて来た。近頃の週末は特にすることもないから、映画を観てお酒を飲んでいると話すと、「枯れてるな」と彼。ビデオを選んでいると、「今日、顔薄いよな」と指摘された。
「どういう意味?」
「いつももっと書いてるじゃん、目とか」
「ああ、化粧?今日は5分メイクで来たから」
今日遊ぶ約束は前々からしていたけど、服もほぼ部屋着で出てきてしまった。我ながら失礼な女だけど、ハルキだから別に気にしないだろうと思った。
「エミってあんまり化粧しないほうが良い感じだね」
「褒めてるのかい、それは?」
この男はこういうことを普通に言う。きっとなんとも思っていない。
「うん」と頷く彼は悪戯っぽく笑って見えたものの、イヤミがなかった。
ビデオ棚を見ていた彼の頭を下から見上げたとき、一本の若白髪が目にとまる。
「あー、それね、この間から生えてる」と言うので、「たぶんもっと生えてるよ。探してあげよう」と手を伸ばすと、「酔っぱらいさん結構です」と掌で後頭部を抑えられてしまった。
腕を伸ばして彼の頭に手をかざそうとしたものの、この高さでは届かない。
ベタベタの恋愛ものに関心がなかった私はサスペンスとホラー映画を借りた。けれど、その辺りもハルキと気が合った。
「こういうのばっか好きだよな」
そう言われたけど、私も本当はついこの間までは1人で恋愛・失恋ものを鑑賞してボロ泣きぐらいはしていた。ハルキには言わない。
お互いほろ酔いのせいか、下らないことで笑いながら歩く。しょうもない酔っぱらい女だと、きっと呆れていると思った。酔っぱらいの行動は恐ろしいものだ。それから何を思ってそうなってしまったのかは今となっては上手く説明ができないけれど、私より3つ手前の駅で降りていくはずだったハルキに絡んでしまった私は、彼を自宅へと引き連れてしまった。映画の話で盛り上がってしまい、一人で鑑賞するよりも楽しいほうがいいと思ってしまったのは理由としてある。
所在無げに立っていた彼を居間に招き入れ、お茶を出す。飲み足りなかった私は缶チューハイに手を出した。お酒のせいなのか、ハルキの前だとつい気が緩んでしまうのか、普段の帰宅後の一人の時間と同じように過ごしてしまう。本当は服も着替えてしまいたいところだった。いつもなら早送りする映画宣伝を流したまま雑談していたとき、恋愛ものの宣伝ばかり目についた。ふとハルキに、「彼女作らないの?」と聞いてみた。
「ん?うん。出来ないだけだけど」
「そんなことないでしょ?」
「あるある。良いなと思った人には振られたことしかない」
会話が途切れた。そう言えば私もそうだ。
「そか。泣いていいよ、私の胸で。冗談だけど」「無い胸で?」
「そう。あんまり無い胸で・・・ひどいなアンタ」「無いって自分で言ってたじゃん(笑)。別に泣かない(笑)。というかまあ、別にエミみたいに落ち込んでないから俺は」
「私も別に落ち込んではいないよ」「ならいいけど。でも寂しいんでしょ?」
「寂しいって?」「最近よく電話とかメールくるし。飲みも増えたし。それにさっきも絡んできてたし」
「それはごめん。まあ一人で居たくない時があるというか、気晴らし」「じゃあやっぱり駄目になってたんだ、彼氏と」
「うん」「ねえ、乾杯しようか?」
雰囲気を変えようと思いチューハイを握った私。
「乾杯?俺の麦茶じゃん。なんの乾杯すんの?」「なんとなくの乾杯。私はもう頑張らないけど、乾杯」
「頑張らないの?」「うん。もうしんどいから(笑)」
「見る目がない男だっただけだって」「あぁ、それね・・・。ありがとう」
「俺なら、エミみたいな子が彼女だったら嬉しいけど」
またどうせいつもの軽口だと思った。
「いつから胸の無い子が好みになったの?」
内心、照れ隠しで言ったつもりだった。でもハルキは笑っていなかった。本編の映画に集中しようとしたそのとき、首に温かい感触が伝わった。状況が理解できたときにはもう私の首元に彼の腕が巻きついていて、背後の彼が抱え込むように座っていた。どう反応をすればいいのか判らなかった。
「映画見るから、おふさげは後で」と、努めて冷静に言うのが精一杯だった。それが彼の気に障ったのかもしれない。
「ふざけてない、こっち向いて」と肩を掴まれ対面させられそうになった。振り払うつもりで腕を動かしたつもりが体勢が崩れ、私だけ横向きに倒れてしまった。
「ああ、もう、今の字幕見逃したじゃん」
笑いながらリモコンで巻き戻そうとしたら、リモコンまで後ろ手で隠される。
「腕ぶつけた?」と腕に触れてきたハルキを遮り、「ねえ、ちょっと、ちゃんと観ようよ」と向き合った私。
彼の大きな身体にも似合わない人懐っこい子犬のような丸い瞳に、半ば訴えるように視線を注いでやった。けれど何も言ってくれない。ちょっとまずいと感じ取った直後、そのまま抱き寄せられてしまった。
(もしかしてハルキは、私を慰めようとしてくれているのだろうか?)
ぼんやりした頭で考えた。向こうからすれば、男に振られ、酒を飲んでやさぐれている女にしか見えないのかもれない。自分が情けなく思えた。彼の胸を押しのけようとしたとき、ふいに額に熱を帯びた感触が伝わった。あ、と思った直後、その感触は私の唇に移動していた。力の抜けた行き場のない私の手とは違い、優しく這うように押し当ててくる彼の唇は止まってくれる気配がない。手を握られたとき、反射的に払いのけてしまった。同時に唇が離れたと思いきや、彼の顔はまだ至近距離にある。その気まずさに視線を落とした瞬間、再び首元に柔らかなものが当たった。
「・・・やっ」
咄嗟に伸ばした私の手を押さえつけると、彼は身体ごと被さってきた。髪を撫でられる感覚に顔を上げたら、ハルキが私の顔を覗き込んでいる。
「嫌?」
少し掠れた声で問いかけられた。困惑していた思考回路を整理しながら、なぜか私は初めてあの会社で顔を合わせたときの彼を思い出した。この人は今、何を考えているんだろう。いつものように軽口を叩いて、からかっている姿とは違うのは確かだった。私は約3年もの間、友達だと思って接してきた。この状況だって、心の片隅では「冗談だよ」と言ってくれることを期待していた。
ふいに仲が良かった友達の、「友達って思ってたってさ、異性はそんなのわからないよ。チャンス窺ってるもんなんだよ。同性同士ならともかく」という言葉が頭をよぎってしまった。
浮かんでくる元カレの顔。私は表情を変えずに、「嫌じゃないよ」と、彼の目を見て答えた。口にしたあと、半分後悔した。ハルキの表情が読めない。頬に触れていた彼の手がほのかに温かった。頬をふにふにと突っついてくる。もう、いいや。私の中で何かが切れた。
「こっちのほうが柔らかいよ」
彼の手を掴み、自分の胸元へ寄せる。手の温度が服越しに伝わってきた。けれど、そのまま上に滑らされ両頬を掌で包み込まれた。